(1)風通しのいい、開かれた社会というのは、安心感が高い。情報開示、透明性が健全化に
大事な要素だ。
09年4月のテレビ討論番組でキャスターが特定のら致被害者について「外務省も生きていな
いことは分かっている。」と発言。政府担当機関からも正式な情報開示もないまま、キャスター
自らの取材情報収集として、ら致被害者の生存について否定的な発言をテレビ媒体を通して開
示したことに、被害者家族から情報の真否性、それによる精神的苦痛を受けたとして慰謝料を
求めて裁判に訴えた。
問題は、キャスター発言の根拠となる取材情報源(news source)について、書面化して証拠
として提出した経緯にかかわり取材時の録音テープの提出を地裁が命じる決定をしたことだ。
キャスター側は、録音テープそのものの提出では、声から取材源(情報提供者)が明らかとな
り、今後の取材の自由、知る権利に重大な支障が生じるとこれに反発し、抗告するという。
広く情報開示のアイテム(item)となるメディアの場合、取材情報の精度(accuracy)を高めて
取材の自由、国民の知る権利を守る立場から、取材源は明かさないのが原則だ。原則には、
事実の精度が客観的にも高いことが必要だ。
(2)今回の裁判事例では、録音テープを書面で開示しておりこれが「秘密保持の利益を放棄」
したとみなされ、また裁判で争われている情報の真否性の精度、精査に必要だとして現物(録
音テープ)の提出を求めたものだ。
キャスターがテレビという公共性の高い媒体を使って、非常に微妙な国際問題、人権問題(ら
致被害者の生存確認)について重要な情報開示をする段階で、取材内容の真否性、取材源に
ついては問われる、起こりうる問題としての認識、配慮が事前になければならない情報開示だ
った。
(3)まず、今更メディアの取材源の秘匿を社会問題化しようという作為でもないだろうから、キ
ャスター(またはジャーナリスト)としては、取材情報の取り上げ方、方法について不手際、不
注意であったと言われても仕方がない。
こういう問題について、興味の高い部分を開示しておいて、その根拠(取材源)は明かさない
のがメディアの原則では、確かに真実の真否性について弄(もてあそ)ぶ、被害者感情を無視
した程度の悪さが目につくばかりだ。
キャスター側は、録音テープの開示では声で情報提供者が特定されると反発している。録音
テープの開示にあたっては、回転数の調整で話している内容は確認できても、情報提供者と
特定しにくい声質に変換する方法もある。
ら致被害者の生存確認という国際問題、人権問題にかかわる微妙な重要問題のパンドラの
箱を開けた以上、キャスター、メディア側には情報源の秘匿(hiding secretly of news source)
というメディア取材の原則以上に、情報の真否性について精度の高い立証責任が求められる。
メディアの公正、公共性の高さから、メディアにはより高い情報管理の注意力が求められて、
その被害者の感情をみだりに弄(もてあそ)ぶばかりの作為的手法と捉えられることがあって
はならない。
大事な要素だ。
09年4月のテレビ討論番組でキャスターが特定のら致被害者について「外務省も生きていな
いことは分かっている。」と発言。政府担当機関からも正式な情報開示もないまま、キャスター
自らの取材情報収集として、ら致被害者の生存について否定的な発言をテレビ媒体を通して開
示したことに、被害者家族から情報の真否性、それによる精神的苦痛を受けたとして慰謝料を
求めて裁判に訴えた。
問題は、キャスター発言の根拠となる取材情報源(news source)について、書面化して証拠
として提出した経緯にかかわり取材時の録音テープの提出を地裁が命じる決定をしたことだ。
キャスター側は、録音テープそのものの提出では、声から取材源(情報提供者)が明らかとな
り、今後の取材の自由、知る権利に重大な支障が生じるとこれに反発し、抗告するという。
広く情報開示のアイテム(item)となるメディアの場合、取材情報の精度(accuracy)を高めて
取材の自由、国民の知る権利を守る立場から、取材源は明かさないのが原則だ。原則には、
事実の精度が客観的にも高いことが必要だ。
(2)今回の裁判事例では、録音テープを書面で開示しておりこれが「秘密保持の利益を放棄」
したとみなされ、また裁判で争われている情報の真否性の精度、精査に必要だとして現物(録
音テープ)の提出を求めたものだ。
キャスターがテレビという公共性の高い媒体を使って、非常に微妙な国際問題、人権問題(ら
致被害者の生存確認)について重要な情報開示をする段階で、取材内容の真否性、取材源に
ついては問われる、起こりうる問題としての認識、配慮が事前になければならない情報開示だ
った。
(3)まず、今更メディアの取材源の秘匿を社会問題化しようという作為でもないだろうから、キ
ャスター(またはジャーナリスト)としては、取材情報の取り上げ方、方法について不手際、不
注意であったと言われても仕方がない。
こういう問題について、興味の高い部分を開示しておいて、その根拠(取材源)は明かさない
のがメディアの原則では、確かに真実の真否性について弄(もてあそ)ぶ、被害者感情を無視
した程度の悪さが目につくばかりだ。
キャスター側は、録音テープの開示では声で情報提供者が特定されると反発している。録音
テープの開示にあたっては、回転数の調整で話している内容は確認できても、情報提供者と
特定しにくい声質に変換する方法もある。
ら致被害者の生存確認という国際問題、人権問題にかかわる微妙な重要問題のパンドラの
箱を開けた以上、キャスター、メディア側には情報源の秘匿(hiding secretly of news source)
というメディア取材の原則以上に、情報の真否性について精度の高い立証責任が求められる。
メディアの公正、公共性の高さから、メディアにはより高い情報管理の注意力が求められて、
その被害者の感情をみだりに弄(もてあそ)ぶばかりの作為的手法と捉えられることがあって
はならない。