(1)興味本位にすぎるけれど、参院議員で行政刷新担当大臣の雑誌取材のための国会内撮影
(national diet photographing)問題、3つのファクターから考えてみる。国会内での撮影は許可制
で、政治活動にかかわるものとの事務基準があって私的な宣伝活動は対象外となっている。
報道によると、政治を身近に感じてもらえると判断しての国会内での雑誌取材撮影としたようだ
(正式な申請理由は不明)。許可をした事務局はその後の高級ドレスを着替えてのファッション撮
影がわかっての騒動を見て、私的な宣伝活動であって基準を外れていると判断して注意したとの
ことだ。
①ひとつは、当議員は何を突破(break over)しようとして、こういう手段に出たのかだ。タレント
出身で行政刷新会議の仕分けで注目を集め、前回の参院選では東京都全区で圧倒的な支持を
受けて再選され大臣を務める民主党の顔のひとりだ。
国会内での雑誌ファッション撮影が、政治を身近なものと感じてもらえる手段である以前に、そ
ういう行為が政治活動として適当なのか、政治を国民に身近なものとして理解してもらう方法とし
てふさわしいシチュエーション(situation)なのかは、容易に判断できたはずだ。
これは政治家個人としてのパラダイム(paradigm)の問題であり、本人が「担当者の示唆に沿っ
て許可をもらった。雑誌の取材であることも丁寧に説明した」と弁明し、まるで「してやったり」の意
向のものではない。
政治はかっての既得権政治の時代の利益誘導型の職業政治家への失望から、中央、地方問
わずに政治色に染まらないフレッシュな感覚人が国民から支持されている。それが一面には政治
に新風を送り込み、一方、理念、決断、展望、パラダイムの不足で政治に閉そく感をもたらす要因
にもなっている。
そこで、政治とカネの問題で旧態然とした政治勢力が未だに民主党のほぼ半数を占める現状に、
行政刷新で国民の期待も大きい同議員が国会、国政に政権交代のイメージ「新風」を鮮明にして
送る「メッセージ」としたかったのではないのか。つまり、何か流れを変えたかった。
ちょっと斜めに構えたファッション、政治スタイルがよろしくなかった。
②ふたつ目が、許可をした国会事務局の対応だ。撮影後に私的な宣伝色の強いことがわかって、
これは基準を外れていると対応の甘さを釈明した。雑誌取材であることも知っているとすれば、より
丁寧な説明責任も必要であった。議員にまるで「してやったり」と言われる程度では、国会の私物
化も政治だけのものではなくなる。
基準があるとすれば公平、公正に適用し、最大限国会の機能を維持し、活性化する環境整備に
努めればいい。それが議員活動のためでもある。みだりに議員のスキャンダル(scandal)にした責
任はある。
③そこで、外国では国会をステージにして同様の広報、宣伝活動を認めているところもあるという
意見も聞く。もちろん、政治を身近なものとする効果的な手段は、もっと別なところ(政治活動、政策
提案、審議情報開示、選挙活動)にあるわけで、今回はタレント出身で行政でも大臣として注目を
集める議員の個性がみだりに話題性を集めたきらいはある。
コマーシャリズムに染まらない限りは、政治活動に影響しない基準化の範囲内でのパラダイム
(paradigm)として、国会のオープン化(opening of national diet)もいいのではないのか。
公平、公正の原則論はあるとは言え、国会審議にまで登場する話題ではない。国会にそんな余
裕はないはずだ。同議員も、こじつけ説明ではなく、主義(principle)をストレートに主張したらよか
ったのだ。
(national diet photographing)問題、3つのファクターから考えてみる。国会内での撮影は許可制
で、政治活動にかかわるものとの事務基準があって私的な宣伝活動は対象外となっている。
報道によると、政治を身近に感じてもらえると判断しての国会内での雑誌取材撮影としたようだ
(正式な申請理由は不明)。許可をした事務局はその後の高級ドレスを着替えてのファッション撮
影がわかっての騒動を見て、私的な宣伝活動であって基準を外れていると判断して注意したとの
ことだ。
①ひとつは、当議員は何を突破(break over)しようとして、こういう手段に出たのかだ。タレント
出身で行政刷新会議の仕分けで注目を集め、前回の参院選では東京都全区で圧倒的な支持を
受けて再選され大臣を務める民主党の顔のひとりだ。
国会内での雑誌ファッション撮影が、政治を身近なものと感じてもらえる手段である以前に、そ
ういう行為が政治活動として適当なのか、政治を国民に身近なものとして理解してもらう方法とし
てふさわしいシチュエーション(situation)なのかは、容易に判断できたはずだ。
これは政治家個人としてのパラダイム(paradigm)の問題であり、本人が「担当者の示唆に沿っ
て許可をもらった。雑誌の取材であることも丁寧に説明した」と弁明し、まるで「してやったり」の意
向のものではない。
政治はかっての既得権政治の時代の利益誘導型の職業政治家への失望から、中央、地方問
わずに政治色に染まらないフレッシュな感覚人が国民から支持されている。それが一面には政治
に新風を送り込み、一方、理念、決断、展望、パラダイムの不足で政治に閉そく感をもたらす要因
にもなっている。
そこで、政治とカネの問題で旧態然とした政治勢力が未だに民主党のほぼ半数を占める現状に、
行政刷新で国民の期待も大きい同議員が国会、国政に政権交代のイメージ「新風」を鮮明にして
送る「メッセージ」としたかったのではないのか。つまり、何か流れを変えたかった。
ちょっと斜めに構えたファッション、政治スタイルがよろしくなかった。
②ふたつ目が、許可をした国会事務局の対応だ。撮影後に私的な宣伝色の強いことがわかって、
これは基準を外れていると対応の甘さを釈明した。雑誌取材であることも知っているとすれば、より
丁寧な説明責任も必要であった。議員にまるで「してやったり」と言われる程度では、国会の私物
化も政治だけのものではなくなる。
基準があるとすれば公平、公正に適用し、最大限国会の機能を維持し、活性化する環境整備に
努めればいい。それが議員活動のためでもある。みだりに議員のスキャンダル(scandal)にした責
任はある。
③そこで、外国では国会をステージにして同様の広報、宣伝活動を認めているところもあるという
意見も聞く。もちろん、政治を身近なものとする効果的な手段は、もっと別なところ(政治活動、政策
提案、審議情報開示、選挙活動)にあるわけで、今回はタレント出身で行政でも大臣として注目を
集める議員の個性がみだりに話題性を集めたきらいはある。
コマーシャリズムに染まらない限りは、政治活動に影響しない基準化の範囲内でのパラダイム
(paradigm)として、国会のオープン化(opening of national diet)もいいのではないのか。
公平、公正の原則論はあるとは言え、国会審議にまで登場する話題ではない。国会にそんな余
裕はないはずだ。同議員も、こじつけ説明ではなく、主義(principle)をストレートに主張したらよか
ったのだ。