いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

日本風土のあいまいさ。 vagueness of japanese climate

2015-02-04 19:28:18 | 日記
 (1)ドイツは世界大戦の戦争責任と向き合い反省のもとにEUの中心国として存在感を示しているが、同じ戦争に参戦した日本は従軍慰安婦問題などの被害者の賠償問題は政治的解決を済ませたといいながら国としての戦争責任の所在をあいまい(vagueness)にして、安倍首相の「侵略」の国際的な定義などないという発言が今も飛び出す始末で中国、韓国からいまだに日本のアジア植民地支配、侵略、占領政策について謝罪と責任を求められている。

 (2)この「あいまいさ」が日本風土(japanese climate)の特徴であり、福島第一原発事故に対しても政府は原発事業者の東電に事故責任を押し付けて間違った原発の安全神話のもとに狭い災害国日本に54基の原発を林立させてきた原発推進政策「責任」を明確にしてこなかった「あいまいさ」のままだ。

 福島第一原発事故は廃炉までに40年以上はかかるといわれる前代未聞の大事故であるが、政府が原発推進政策責任を明確にして事故収束、賠償責任、生活復興に取り組まないために、いづれもがあいまいなままに漂流して事故収束、復興の遅れにつながっている。

 (3)福島第一原発事故で放射性物質に汚染された土壌の処理についても当初は全国自治体の保管協力を目指していたが数少ない一部自治体以外には住民の協力を得られずに、中間貯蔵場所として福島第一原発地元の大熊町、双葉町に建設することがようやく両町自治体が受け入れて、実は昨年7月着工、今年1月の搬入開始を目指した(報道)ものだが半年遅れで昨日(3日)にようやく工事に着工した。

 当初の計画によるものではなく、区域内にまず「保管場」2か所を整備して仮置きのまた仮置きをするものだ。

 (4)両町自治体は汚染土の中間貯蔵場所を受け入れたが、区域内2300人といわれる地権者との用地売買契約がひとつも成立せずに(報道)計画どおり事業が進まない事態だ。
 政府が福島第一原発事故の責任をあいまいにしたまま東電にだけ事故責任を押し付けて事故収束、復興もままならない中で、被害住民に多大な負担を押し付けようとするから住民協力は容易には得られないものだ。

 政府が原発推進誤りの責任を認めて謝罪し、原発政策を見直して復興に向けて先頭に立って国民にも協力を求める「ドイツ方式」でもあれば、被害住民、国民の理解も得られたのではないのか。

 (5)福島第一原発事故により生活基盤を失った被害住民の労苦ははかりしれないが、放射性物質の汚染土などの危険物質を全国に拡散することは取るべき方策ではなく、事故区域で阻止し処理するしかないのは安全対策としてはいたしかたのないところだ。

 福島第一、第二原発敷地内で汚染土を保管処理をするのが筋というものであるが増え続ける汚染水処理対策で余裕もなく、周辺自治体で復興計画にあわせて保管処理するのはやむを得ないものだった。

 (6)しかし、2300人もの地権者との用地売買契約もまったく見通しも立たない中での工事着工では、どこまでもあまりにも「あいまい」な政策だ。
 すべては政府が原発推進政策の誤り、責任を認めない「あいまいさ」から来ているものだ。

 さらに安倍政権は経済界寄りの経済優先主義政策の姿勢から、この期に及んでも原発を将来の重要なベースロード電源としており、被害自治体、住民の感情を逆なでしている。このままでは廃炉まで40年以上の先行きはお先真っ暗闇の状態だ。

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