(1)作家の曽野綾子さんが産経新聞のコラムで「外国人を理解するためには、居住を共にすることは至難の業だ。」として「居住区だけは白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいいと思うようになった。」と書いて、91年までアパルトヘイト(人種隔離)政策を実施しその後廃止した南アフリカ共和国(駐日大使)をはじめ日本に住む外国人からアパルトヘイト、人種差別を許容するものだとの非難が相次いでいる。
(2)曽野さんは「個人の経験」から「習慣の違う人間が一緒に住むことは難しい」と主張している。「個人の経験」が余程、気の毒であったのだろうが、経験則のそれだけで普遍的な「人類みな同じ」の博愛主義を否定するなどという教養の持ち主ではないだけに、人種住み分け論(a logic of racial separate inhabitation)を主張する意図はよくつかめないが、何かと右傾化思想の発言も多い作家だけに国粋主義的な意味合いも感じ取られる。
(3)曽野さんは同コラムが国際的な関心、話題となって、同朝刊で「アパルトヘイト政策を日本で行うよう提唱してなどいません」と説明して、他新聞の手記で「日本にも自然発生的にできたブラジル人の多い町があると聞いています。完全に隔離などされていません。そういう『自由な別居』があってもいいと思っています」と書いている。
政治的に人種隔離政策を支持するというものでもなくて、個人の自由な意思、選択で結果として同じ人種の人たちが外国で一緒に暮らす方が暮らしやすいのではないのかという「個人の経験」からの主張だ。そう目くじらたてて非難、批判するような話ではないように思える。
(4)日本は一部の少数者を除けばほぼ単一民族で島国で、グローバル化した時代、社会に適応するために留学生を含めて外国人の受け入れを積極的に取り組むことが政治上の課題でもあり、政府も留学生10万人計画など目標数値をたてて積極的に取り組んでいる。欧米各国は多民族国家だ。
日本はかってのように鎖国政策またはほぼ単一民族で国際化の流れに対抗、対応できるはずもない国家だ。
(5)貿易、輸出産業が日本経済の基幹産業となっており、外国との交流、友好関係は日本の成長、発展のためには欠かすことのできない外交、経済の最重要課題である。
日本国憲法には前文に「国際的に名誉ある地位を占めたい」とあり、国際社会での協調主義を目指したものだ。
曽野さん個人がどういう感情を持っても、グローバル化は国際社会の「標準(standard)」であり、日本においてもさらに重い意味を持つテーゼ(these)だ。
(6)確かに現在の日本には「就労環境」から特定の外国人が多く住む地域は存在するが、もちろん人種内の主義、結束問題ではなくて日本での就労条件(外国人を多く採用する企業群がある)によるやむを得ない要素が大きいのはあきらかだ。
この点では曽野さんの認識事例は適切なものではない。本ブログでも情報化時代の情報氾濫のへい害を書いたが、日本では表現の自由、発表の自由、報道の自由が保障されており、一作家のこの程度の主観的な主張は自由であり、これをまるで国家政策に影響するかのように非難、批判する側にも冷静な判断、解釈力が求められるものである。
(2)曽野さんは「個人の経験」から「習慣の違う人間が一緒に住むことは難しい」と主張している。「個人の経験」が余程、気の毒であったのだろうが、経験則のそれだけで普遍的な「人類みな同じ」の博愛主義を否定するなどという教養の持ち主ではないだけに、人種住み分け論(a logic of racial separate inhabitation)を主張する意図はよくつかめないが、何かと右傾化思想の発言も多い作家だけに国粋主義的な意味合いも感じ取られる。
(3)曽野さんは同コラムが国際的な関心、話題となって、同朝刊で「アパルトヘイト政策を日本で行うよう提唱してなどいません」と説明して、他新聞の手記で「日本にも自然発生的にできたブラジル人の多い町があると聞いています。完全に隔離などされていません。そういう『自由な別居』があってもいいと思っています」と書いている。
政治的に人種隔離政策を支持するというものでもなくて、個人の自由な意思、選択で結果として同じ人種の人たちが外国で一緒に暮らす方が暮らしやすいのではないのかという「個人の経験」からの主張だ。そう目くじらたてて非難、批判するような話ではないように思える。
(4)日本は一部の少数者を除けばほぼ単一民族で島国で、グローバル化した時代、社会に適応するために留学生を含めて外国人の受け入れを積極的に取り組むことが政治上の課題でもあり、政府も留学生10万人計画など目標数値をたてて積極的に取り組んでいる。欧米各国は多民族国家だ。
日本はかってのように鎖国政策またはほぼ単一民族で国際化の流れに対抗、対応できるはずもない国家だ。
(5)貿易、輸出産業が日本経済の基幹産業となっており、外国との交流、友好関係は日本の成長、発展のためには欠かすことのできない外交、経済の最重要課題である。
日本国憲法には前文に「国際的に名誉ある地位を占めたい」とあり、国際社会での協調主義を目指したものだ。
曽野さん個人がどういう感情を持っても、グローバル化は国際社会の「標準(standard)」であり、日本においてもさらに重い意味を持つテーゼ(these)だ。
(6)確かに現在の日本には「就労環境」から特定の外国人が多く住む地域は存在するが、もちろん人種内の主義、結束問題ではなくて日本での就労条件(外国人を多く採用する企業群がある)によるやむを得ない要素が大きいのはあきらかだ。
この点では曽野さんの認識事例は適切なものではない。本ブログでも情報化時代の情報氾濫のへい害を書いたが、日本では表現の自由、発表の自由、報道の自由が保障されており、一作家のこの程度の主観的な主張は自由であり、これをまるで国家政策に影響するかのように非難、批判する側にも冷静な判断、解釈力が求められるものである。