(1)日本の教育制度は、初等教育(6年制)、中等教育(3年制)は義務教育で日本国民の6才~15才までの少年、少女は必ず所定教育課程を受けなければならない。
しかし、家庭によっては(よってはといっても極めてまれな特殊なケースではあるが)親が代々知識人、文化人で自分の家庭、手許で自ら教育して育てることが自分の子どもの教育環境にとって最善だとの強い理念、見識、思想にもとづいて、義務教育に通わせることなく育てて成人させ、その子も自分の発掘した能力をいかして文化人として生計をたてて生涯をすごした例を極めてまれな(rare)事例として見聞きしている。
国民の義務としての義務教育との関係、調整、理解はどうだったのかは、一家庭の事情問題なのでわからないし、知る由もない。
(2)義務教育だけが子どもの成長に欠かすことのできない教育論だというわけでもない実証だ。もちろん、家庭から離れて不特定多数の見ず知らずの初めての同年代の人間と一緒に時間をすごし勉学する意味、意義は、子どもの成長、生育、心理、社会性、協調性、共同性を育むものとして大きい要素であることは疑いようもない。
しかし、中には原因は様々だがこれに同化(assimilation)できずに不登校に陥ったり、引きこもりになり長期間登校を拒否する子どもが社会問題化している。
(3)不登校、引きこもりは放置すれば当の子どもはもちろんのこと、家庭にとっても成長、生育、情緒、心的作用への不安、負担は大きく、いいことではない。通常の親、保証人、学校としてはそのそれぞれの責任上、打開、改善に向けて対策、協議、協力、努力するのがあるべき姿だ。
打開、改善の対策、方法論(methodology)については、必ずしも不登校、引きこもりの子どもを無理やり登校させることだけではないことは冒頭のまれではあるが特殊な恵まれた家庭環境ではあるが、家庭で「責任をもって」教育、世話をすることも方法論であることを示している。
(4)ひとつの問題は、子どもの不登校、引きこもりを親、保証人、学校が不名誉なこととして、よろしくないこととして「公」にしない、隠すプライバシー偏重の社会的風潮がないのか。
いじめ問題も含めてこの種の問題の情報公開(disclosure)が進まないことが事態把握を遅らせ、悪化させて取り返しのつかない最悪のシナリオへと突き進む大きな要因だ。
不登校、引きこもりの子どもの成長過程のひとつのケースとして考え、情報公開のうえ社会全体で問題意識を共有することが解決の早道であり、有力な方法論だ。
(5)川崎の13才の中学1年の男子が殺害された事件は、1か月以上も不登校の中で学校は「電話34回、結局会えず」(報道)、この間の家庭訪問は5回(同)で会えずじまいだったといわれる。
学校としては1か月以上不登校の生徒に対して「個人のケイタイにかけてはいけない」など通常の原則ルールを守って対応していた(報道)というから、問題意識、危機意識の欠如、順応性、判断性欠如のルーティン(routine)業務しか頭になかったことになる。
(6)この問題で「どこか」で「大人」が関与していたら事件を防げたのではないのかの論評が多い。この種の事件で殺害された少年と見ず知らずの遠くの人まで事件現場を訪れて(報道)献花する社会現象が起きていることを、「大人」のひとりとして救えなかった社会的責任として捉えられている。
少年の親はどう考えているのだろうか。
しかし、家庭によっては(よってはといっても極めてまれな特殊なケースではあるが)親が代々知識人、文化人で自分の家庭、手許で自ら教育して育てることが自分の子どもの教育環境にとって最善だとの強い理念、見識、思想にもとづいて、義務教育に通わせることなく育てて成人させ、その子も自分の発掘した能力をいかして文化人として生計をたてて生涯をすごした例を極めてまれな(rare)事例として見聞きしている。
国民の義務としての義務教育との関係、調整、理解はどうだったのかは、一家庭の事情問題なのでわからないし、知る由もない。
(2)義務教育だけが子どもの成長に欠かすことのできない教育論だというわけでもない実証だ。もちろん、家庭から離れて不特定多数の見ず知らずの初めての同年代の人間と一緒に時間をすごし勉学する意味、意義は、子どもの成長、生育、心理、社会性、協調性、共同性を育むものとして大きい要素であることは疑いようもない。
しかし、中には原因は様々だがこれに同化(assimilation)できずに不登校に陥ったり、引きこもりになり長期間登校を拒否する子どもが社会問題化している。
(3)不登校、引きこもりは放置すれば当の子どもはもちろんのこと、家庭にとっても成長、生育、情緒、心的作用への不安、負担は大きく、いいことではない。通常の親、保証人、学校としてはそのそれぞれの責任上、打開、改善に向けて対策、協議、協力、努力するのがあるべき姿だ。
打開、改善の対策、方法論(methodology)については、必ずしも不登校、引きこもりの子どもを無理やり登校させることだけではないことは冒頭のまれではあるが特殊な恵まれた家庭環境ではあるが、家庭で「責任をもって」教育、世話をすることも方法論であることを示している。
(4)ひとつの問題は、子どもの不登校、引きこもりを親、保証人、学校が不名誉なこととして、よろしくないこととして「公」にしない、隠すプライバシー偏重の社会的風潮がないのか。
いじめ問題も含めてこの種の問題の情報公開(disclosure)が進まないことが事態把握を遅らせ、悪化させて取り返しのつかない最悪のシナリオへと突き進む大きな要因だ。
不登校、引きこもりの子どもの成長過程のひとつのケースとして考え、情報公開のうえ社会全体で問題意識を共有することが解決の早道であり、有力な方法論だ。
(5)川崎の13才の中学1年の男子が殺害された事件は、1か月以上も不登校の中で学校は「電話34回、結局会えず」(報道)、この間の家庭訪問は5回(同)で会えずじまいだったといわれる。
学校としては1か月以上不登校の生徒に対して「個人のケイタイにかけてはいけない」など通常の原則ルールを守って対応していた(報道)というから、問題意識、危機意識の欠如、順応性、判断性欠如のルーティン(routine)業務しか頭になかったことになる。
(6)この問題で「どこか」で「大人」が関与していたら事件を防げたのではないのかの論評が多い。この種の事件で殺害された少年と見ず知らずの遠くの人まで事件現場を訪れて(報道)献花する社会現象が起きていることを、「大人」のひとりとして救えなかった社会的責任として捉えられている。
少年の親はどう考えているのだろうか。