いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

贈賄と収賄の異判決。 differ judgment between bribery and graft trial

2015-03-07 19:34:28 | 日記
 (1)何とも不可解なよほど整理が必要な同一事件での贈賄(bribery)裁判と収賄(graft)裁判の異なる判決内容だった。岐阜県美濃加茂市の浄化プラント導入を巡り、当時市議(現市長)に「現金を渡した」とする経営コンサルタント会社社長と「現金を受け取っていない」と主張する現市長とが対立して主張が異なることから「贈賄」側と「収賄」側が別々の裁判でそれぞれが被告となって審理されることになった。

 「現金を渡した」とする経営コンサルタント社長被告(余罪で別裁判も継続中)の「贈賄裁判」は本人の供述のとおりすでに「有罪判決」が確定しており、今回現市長を被告とする「収賄裁判」は現市長が一貫して現金の受け取りを否定して(同社長と会食したことは認めている)、贈賄側の社長の供述に「臨場感に欠けて、主張に合理性がない」(判決要旨)として「無罪判決」を下した。

 (2)収賄裁判での「現金を渡した」とする社長の供述内容が、現金を渡したとされる現場状況での核心(kernel)証言が「変遷して」(報道)あいまい(vague)であり、本人は「検察に取り調べられるうちに、ああそうかと記憶が明確になってきた」(報道趣旨発言)とまるで検察の誘導尋問(leading question)に従ったかのような不明朗な根拠を述べていた。

 (3)贈賄側と収賄側が2人だけの閉ざされた空間場所で現金の授受があったとされる贈収賄事件は物的証拠、目撃性、客観証明性に欠けて、金銭の移動、行政の便宜性がよほど明確でもない限りは(今回はともに明確に特定できない)当事者の「証言」の信ぴょう性が立証の大きな要因になる。

 現金を渡したと言う社長の現金授受現場の核心証言がまるで検察の誘導尋問に従ったかのような変転、変遷では、裁判官の「臨場感に欠けて、主張に合理性がない」との無罪判決も当然だ。

 (4)問題は社長被告が現市長(当時市議)に現金を渡したとする贈賄裁判はすでに有罪判決が確定しており、今回の同一事件での今度は現市長被告の収賄裁判では1審無罪となって、それでは「贈賄裁判」で社長被告が現市長に渡したとする現金(30万円)は一体何だったのかということになる。司法が説明しなければならないことだ。

 贈賄裁判での有罪判決は確定しているのだからよほどのことがない限り(検察審査会による再審請求)この判決はくつがえらずに、仮に今回の収賄裁判で検察が控訴しなければこちらも無罪判決が確定して、同一事件の「ひとつ」しかない真理、真実を追求、立証する司法、裁判としては矛盾を残したままとなる。

 (5)これでは社会正義のパラダイム(paradigm)が成り立たないことになる。仮に収賄裁判で検察が控訴して高裁(2審)さらに上級審の最高裁に持ち込んで収賄の無罪が確定でもすれば、贈賄裁判での確定した有罪判決を左右する上位の上級審の最高裁判断、判決ともいえなくもないが、司法解釈、理論はどうなのか。
 過去にも同一事件での贈賄、収賄とで異なる判決が出た判例はあると書かれている。

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