(1)法務大臣というのは確かに改革、政策、対策、変化に多くかかわる他の管轄大臣に比べて注目度、露出度は低く、「地味な役職」かもしれないが、社会正義のパラダイム(paradigm)、国民の身分、権利、利益を法律で守る、保障する重大な職責を有する極めて専門職の強い知見力、法律能力、比較判断力が求められる大臣職だ。
(2)国家が法律に基づくとはいえ本来守るべき国民の命を絶つ(死刑制度)ということがいいのかどうか、人が人を裁く不条理(unreasonableness)の世界の裁判での誤審もあることを考えると、世界の潮流となっている「死刑制度廃止論」も正当性、現実味を持つ。
(3)その世界の潮流の中でも日本は数少ない死刑制度維持国であり、刑法理念は報復主義をとらずに犯罪者の更生、社会復帰に重点を置いていることを考えると、死刑制度維持には疑問もある。
一方で突然に理不尽に生命を奪われた被害者、家族等にとっては耐えることのできない無念、惜別の思いにさらされて、この被害者、家族等の思いに国家、政府がどう向き合うのか当事者となれば答えは容易には出てこない。
(4)その重要で判断がむずかしい問題、課題を抱える法相に任命された岸田内閣の葉梨法相が自民党議員パーティーのあいさつで「法相は朝、死刑のはんこを押して、昼のニュースのトップになるのはそういう時だけという地味な役職」と述べて、「法相になってもお金は集まらない、票も入らない」など政治と宗教の選挙での集票力での深いつながりが政治問題になっている時に、その重要性の認識を欠く発言もしている。
(5)そういう議員が前述したように倫理、原理、法哲学で多様で利害相対する立場を考えて、乗り越えて融合理念、行政を導き出す法相が務まるのか、岸田首相も任命権者として考えなければならない。
葉梨法相は岸田派所属であり他派閥からの推せんと違い同派内の任命事情も十分には握できる立場にあり、岸田首相の任命責任はより一層重い。少なくとも直ちに不適格者を任命した責任をとって「ヒマ」で「地味な役職」が嫌いな葉梨法相を罷免すべきだ(本日、葉梨法相は辞表を提出し更迭された)。
(6)こんな法相のもとでは、社会正義のパラダイムが成り立たずに国民の生命、安全、権利、利益が正当に守れるはずもなく、国家、政府としても恥ずべき失態だ。岸田首相の任命責任も増して重大だ。