(1)7月の参院選で1票の格差最大3.03倍は仙台高裁が「違憲」と判決した。これまで全国で提訴され「違憲状態」が5裁判、「合憲」が4裁判ときっ抗しており、「違憲」判決は初めてとなる。順当にいけば最高裁で最終判決、統一判断が言い渡される。
(2)政府は松野官房長官が「結果を注視する」と切迫感はまるでなく国会任せで、それぞれの裁判官の判断、審判が自由、自主的で司法の独立が尊重されている意義はあっても、同一裁判でこれほど「幅」のある裁判の判断、判決もない。
(3)制度上、最高裁が統一判断を示すとはいえ、それでは「違憲状態」、「合憲」、「違憲」判断、判決した各裁判所、裁判官の「決断」はどうみればいいのか、「結果」は参院選の有効性にかかるものだけに国民の判断、審判の正当性にかかる「権利」行使の重要問題だ。
(4)選挙のたびに国民からの訴えで1票の格差の有効性が問われて地裁、高裁で争われて、違憲状態、合憲、違憲が訴えられた各裁判所から判断、判決されるというのも束縛されない自由、自主主義の価値はあっても、本来物事の真実、真相、真理を判断、判決する裁判所、裁判官が3者3様の異なった判断、判決をすること自体、国民の裁判への正当性の不安、不信を増幅させるものだ。
(5)裁判の判断基準は「判例主義」であり、3者3様というのも公正、公平な裁判の信頼性、信用性を損なうものだ。そのための3審制の最高裁の最終判断、判決であるがそれは決着しなければならない、やむを得ない裁判の仕組みの問題であって、国民から見ればこれまでの最高裁判断の「違憲状態」であるが「選挙結果」は「不当」とまではいえないなどという唯一真実、真相、真理を判断、判決しなければならない裁判がどちらともいえない「決断」で事を済ますというのは、本来裁判所が守るべき社会正義のパラダイム(paradigm)の価値感を平然とないがしろにすることにつながる危惧はある。
(6)政教分離が原則の政治は衆院選での旧統一教会と議員の不適切、不当な選挙協力関係が問題となって大臣の辞任にまでつながっており、国民の自由で自主的な選挙権の侵害になっており、関係議員の余りの多さにこれを解決するには解散総選挙で選挙をやり直すしか正当な判断、出直しはできないと書いたが、岸田首相、自民党は各議員個人の調査、報告にまかせて今後は一切関係を持たないことを前提にして国民の自由意思の権利侵害には目を向けていない政治の堕落だ。