前回の続きで萩原宿から清須宿まで11.8キロを歩きました。
名鉄萩原駅で下車し南東に向かって歩きました。今回のコースは一宮市、稲沢市、清須市です。
稲沢市では比較的新しい美濃路の説明板が設置されていましたが、一宮市では指導道標が無く、美濃路に対する取り組みで自治体の温度差を感じました。
名鉄萩原駅(9:12) - 高木の一里塚(9:33) - 中嶋宮(9:52) -
コメダ稲沢西店(10:03~10:40) - 稲葉宿(11:04) - 小沢の一里塚(11:17)
- 東屋(11:51~12:05) - 長束公園(12:15) - 四ツ家追分(12:55) -
清洲城(12:00~11:50) - 清洲公園(12:21) - 清洲宿本陣跡(12:52) -
名鉄新清洲駅(13:28)
稲葉宿の稲沢市シルバー人材センター前に有った美濃路の案内板。
この地図が今回歩いた行程です。
行きの電車の中で見かけたお年寄りのグループ。
10人ほどの人数でした。
お二人と言葉を交わしました。
各務原市の方々で、会の名は「ふるさと散策の会」だそうです。
今日は津島市内を巡るのだそうでした。
彼女は、杖を使っていました。会の中には山に登りに行く人も居る。私がみんなの足を引っ張っていると笑って話していました。
丁度、津島の天王川公園が藤の見頃を迎えている時期でした。
月に一回出かけているそうでして、会の世話をしている人が前回の写真や次回の予定表を配っていました。
こうして、会としてまとまっているのも、世話をする人が居るからだと思います。
歩き始めの萩原宿。
都市近郊の農業。
温室の中で苗を育てていました。
こちらも苗を育てていました。
高木の一里塚後。
うっかりすると見落としてしまいそうです。
稲沢市は苗木の生産が盛んなところです。
まだ、一宮市内ですが、稲沢市に近づいてきました。
稲沢市の影響を受けて苗木の生産をしているのでしょう。
遠くに養老山地が見えます。
遠くに山が有るだけで、この辺りは有りません。
濃尾平野の真っ只中です。
街道が広くなったり狭くなったりします。
古い家が並んでいるところは拡幅が難しく旧のままですが、家の無いところは拡幅し易くこのような形態になってしまいました。
現代の茶店。
コメダで一服しました。
稲葉宿に入ってきました。
シルバー人材センターの前に美濃路の案内板が設置して有りました。
アップで。
杉玉が下がった酒屋。
美濃路のプレート。
小沢の一里塚。
保育園の中に設置された美濃路の指示標識。
美濃路を歩いていて、曲がり角が判り難かったです。
このように進む方向がはっきりした場所よりも街角に設置して欲しい物です。
まだ、整備されて新しい道。
カラー舗装になっていました。
長束公園。
長束梅の説明板。
ヒトツバタゴ。またの名をナンジャモンジャです。
整備された街道と東屋。
JR東海の踏切を渡ります。
四ツ家リ追分は京都方面と岐阜方面の分岐となります。
この石碑は、もともとは上の四ツ家追分に有ったのが、折れて、長光寺に移設されました。
清洲城です。
天守閣から見えた御嶽山。
城の中は充実していて見学をするのに長時間を費やしました。
清洲公園に有った若き信長像。
清洲宿本陣跡。
本陣跡の説明板。
新清洲駅に着きました。
萩原宿から清須宿まで歩きましたが、花の苗の生産や苗木の生産を見かけました。
都市近郊であり、このような農業が営まれたりするのだと判りました。
清洲城の内容が充実しており、じっくり見てきたら意外と時間が掛かりました。
信長が清洲から小牧、岐阜へと移っていた事が判りました。
清洲と清須。
清洲町や西枇杷島町、新川町が合併して清須市が誕生しました。
発音は一緒でも、はて?
どちらの字が正しかったか。迷ってしまいます。
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