私なんぞの稚拙なブログを読んでくださる奇特な皆様、新年明けましておめでとう御座います。今年も私めを見捨てず、宜しくお願い致します。私を含め皆様が良いお年を過されます様、お祈りいたします。
それでは今年初めてのブログを書きたいと思います。
昔、「まんが日本昔ばなし」と言うアニメが有りました。紙芝居調のアニメで声優は市原悦子と常田富士夫の二人だけ。この二人のナレーションが秀逸でした。どちらも大したものだと思いますね。
それと私も知らなかったのですが監修しているのが川内康範です。私、この人は天才だと思います。だって森進一の「おふくろさん」の作詞をしているだけでなく、月光仮面、レインボーマン、コンドールマン、ダイヤモンドアイ等々の特撮の原作も書いているのですから。
私の子供の頃の月光仮面はアニメでしたが上記の特撮は全部見ていました。特に「もうこの世は終わりだ」と精神的に落ち込みながら見た「愛の戦士・レインボーマン」は心に残っています。あれは子供には無理です。敵キャラが怖すぎです。
だってレインボーマンの歌は敵の「死ね死ね団」側に立って歌っているのです。「死ね死ね団のテーマ(興味のある人はユーチューブで見てね)」が「♪死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死んじまえ。黄色い豚めをやっつけろ。金で心を汚してしまえ、死ね、死ね、死ね、死ね、日本人はじゃまっけだぁー」と歌っているんですよ。
死ね死ね団は日本人を敵視しているのです。戦争で日本軍に酷い目に合わされた国の結社が死ね死ね団です。多分、朝鮮と中国の結社の様に思います。
それと曲名は「愛の戦士レインボーマン」だと思いますが、「♪アイツを探せぇー、アイツを殺せぇー。アイツの名前はぁー、レインボーマン。愛の戦士のレインボーマン」って歌っているんです。少年少女合唱団みたいな子供たちが爽やかにですよ。もう精神的に狂っちゃいますよ、子供は。
レインボーマンは当時、社会問題になっていた公害・食糧不足がテーマになっています。「日本はどうなるんだぁー」と子供心にも心配していた時代にそれらの社会問題をテーマにして「死ね死ね」ですからね。あれは小学校低学年だったら泣きますよ。心にぐっさり刺さります。見ていて辛くなります。
しかも主人公のヤマトタケシは、プロレスラーの設定なのにガリガリに痩せているのです。そしてインドに修行に行って事故に会い死にそうになります。それで師匠のダイバダッタの魂を宿してレインボーマンに変身出来る様になったのですが、ヤマトタケシの顔が神経質で弱々しいのですよ。否、実際に弱すぎで戦う姿は見てられないです。レインボーマンに変身しても弱いし、変身した後は暫く白い石像見たいになって動けなくなったります。この時に敵に襲われればアウトです。「レインボーマン、早く逃げろ!!」と何時もハラハラしていたもんですわ。
でも月、火、水、木、金、土、日に合わせてそれぞれの化身に変身するレインボーマンのアイディアは大したものですね。今の仮面ライダーやウルトラマンが戦いにあわせて様々なタイプに変身するのは、レインボーマンのマネだと思います。やっぱり特撮の草分けなだけに川内康範は凄いですと思います。
話は大幅にそれました。「まんが日本昔ばなし」に戻します。このアニメはご存知だと思いますが、日本の昔話をアニメ化したものです。その中に私の故郷である「いわき市」の昔話があります。タイトルは「ひねくれ婆と明神様」です。
ストーリーは「昔、石城の見沼の里の合戸に捻くれ者の婆様がいました。畑仕事もせず、明神様のお供え物を盗んでは喰いまくっていました。隣の家の爺様や村人が何度注意しても聞きません。婆様は昔は真面目で働き者でしたが、亭主の爺さんが死んでから『神も仏もありゃしない』と思うようになっていたのです。そしてある時、村のある爺様が亡くなります。隣の家の爺様が捻くれ婆さんを誘って葬式に行く事に。村では不幸が合った時は明神様への道は通らない仕来りでしたが、捻くれ婆さんは隣の爺様の話も聞かずに明神様の祠を通り葬儀に出席します。そしてその日の晩、捻くれ婆さんの夢枕に大男の明神様が現れます。明神様は『こら婆、俺のお供え物を返せ』。明神様を恐れぬ捻くれ婆『そんなものは喰っちまったわ』。明神様は『それならお前の舌を貰って行く』と。そして目を覚ました捻くれ婆様は言葉も喋れず、食べても味が感じられなくなりました。捻くれ婆様は塞ぎ込み夜な夜な亡くなった爺さんの夢を見て悲しみに臥せります。そこにまた明神様が現れ『人は誰もが死ぬ。捻くれず、爺さんとの思い出を励みにして生きてみろ』と。婆様もその言葉を聞き入れます。そしたら喋る事も味わう事も出来る様に。そして婆様は昔の様に真面目で働き者に戻り、末永く長生きしたとさ」。目出度し、目出度し。
続く。