続きます。
この「ひねくれ婆と明神様」のストーリーは多少「まんが日本昔ばなし」で脚本が加えられていると思いますが、大筋は間違いない無いでしょう。確か三和町永井の昔話を書いている「永井の昔ばなし」と言う本に載っている筈です。
私、この話を聞いた時、身につまされました。この捻くれ婆と私は似ていると。否、私の事なのだと。
もう30年以上前に亡くなった従兄弟の事ばかり考え生きて来た私と捻くれ婆。私も年季の入った捻くれ者です。私と捻くれ婆は同じなのです。
明神様は私に言ってるのです。「何時までも従兄弟の事を気に病むな」と。そして気が付きました。私の人生は従兄弟が亡くなってから捻くれ続けていた事に。これは従兄弟の為にも自分の為にも良くない。何時までも捻くれ続けてはいけない。
そして「従兄弟との思い出を糧にして前向きに生きよ」。明神様は捻くれ婆を通して私に言っているのです。私は気になります。この明神様が誰なのか。
誰なのかと言っても検討は付いています。この昔話は「福島県いわき市三和町合戸」の伝説です。私は永井平九郎を祀る永井神社(御鍋神社だったけど)を探しに、同じ三和町永井の永井神社に参拝。永井神社が以前は「鬼渡神社、神渡神社、三輪渡神社」と呼ばれていた。それが私と鬼渡神社との因縁ですが、隣接する合戸にも気になる神社が有ります。御塚神社です。
三和町には御塚神社は4社あります。謎の女神・湯津佐姫を祀っていると聞いてます。この湯津佐姫に付いては今の段階では考えの練りが足りません。っと言うより怖さが有ります。語る無かれ聞く無かれに繋がる感じがします。
瀬織津姫との関連が深いと思いますか、お湯は水より怖い。今は語らない方が良いと思えます。亦の機会に語りたいと思います。
さて合戸には神社は一社しかないので、あの大男の明神様は御塚神社に祀られている神だと思います。そして祀られている神は湯津佐姫ではなく「稲倉玉神、月夜見神、大山祇神」。そして摂社として「天照皇大神、大山祇社」。
この合戸の御塚神社には毎年9月1日前後の日曜日に三匹獅子舞が奉納されています。この三匹獅子舞は平家の祭りです。そして合戸は平家の落ち武者の里。三和町の上永井、下永井でも三匹獅子舞は伝わっています。
私は平将門の息子、もしくは家来とされる永井平九郎を追って三和町永井の永井神社に辿り着きましたが、落ち武者は自分が信じている神を背負って逃げ延びます。鬼渡神社と呼ばれていた永井神社も御塚神社も、平将門一門が信仰していた神なのではないかと思えます。勿論、平清盛一門の落ち武者かも知れないので自信はないですけど。
話を大男の明神様に戻します。上記の神々の中で大男の明神様は誰なのか。月夜見神がスサノオ尊であるならイメージ的にはピッタリです。永井神社にも境内にスサノオ尊が祀られているし。
しかし、私は大山祇神だと考えます。大山祇神は別名・和多志神ですから。どうしても私は鬼渡神との因縁がありますので。
永井神社にも御塚神社にもスサノオ尊が祀られている。これは怨霊には乱暴者の考えから祀られているのではないかと思えるのです。大山祇神はスサノオ尊を祖とする出雲の神々より古い日本の地主神の可能性か高いので。
処で昔話の捻くれ婆は葬儀の日に明神様の祠の前を通り、祟りを受けてます。そして御塚神社でも未だに多くの禁が残っています。
御塚神社は大変小さな祠があるだけです。しかし竹矢来でしっかり囲っています。これ多分、結界だと思います。それだけ村人に畏怖されている神であると言えます。
三匹獅子舞は御塚神社を祀る山を獅子舞を囃子ながら登って行くのですが、女人禁制(女児は可)、土足厳禁、そして参拝は午前中のみ可となります。
この禁を破った人が近年出たそうですが、しっかりと祟りが落ちたそうです。やはり御塚神社が明神様の祠だと思います。
最近のスピリチュアルブームで神社はパワースポットと思っている方が大勢いますが、神社は間違いなく霊場です。死者の国です。本来は気軽に行ける場所ではない。覚悟を持って参拝する冪だとつくづく思います。
そして祟りがあるから人は正せる。それが神道なのではないかと考えます。
出来れば今年、私も御塚神社の三匹獅子舞に参加し参拝したいと考えていますが、まだ早い様な気もしないでもないです。もう少し私の捻くれが正せた時に参拝した方が良さそうです。
今年は私の心の捻くれを解く一年にしたいと思いますね。堂々と御塚神社に参拝出来る様になる為に。
ではでは。