諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

瀬織津姫はカモフラージュを目的に創られたのではないだろうか!? その4

2016年02月13日 11時47分12秒 | 瀬織津姫

続きます。

天忍穂耳命と忍熊皇子には更に共通点が有ります。塩竃神社で。

塩竃神社の伝承では祭神の塩土老翁は猿田彦命であり天忍穂耳命であるとしています。そして確か田村三代記だと記憶していますが、七ヶ浜の花淵浜まで逃げてきて塩を作ったのは忍熊皇子としていました。だとしたら元塩竃神社である鼻節神社の祭神・猿田彦命は忍熊皇子と考えられます。

そういえば多賀城市の仁和多利神社には何故か武内宿彌が祀られていますが、まさか逃げた忍熊皇子を追って武内宿彌がやってきた事を意味するのか。

実際、塩竃神社の塩土老翁は武内宿彌の事だと説も有るし、ここまで来ると何が何だかです。判りません。

私は鬼渡神・志波彦神の考えから塩竃神社の祭神は瀬織津姫であると考えていますが、何れそのこじ付け論を語りたいと思います。自信はありませんけど。

話を機織の女神・萬幡豊秋津比売に戻します。機織と言いますと瀬織津姫にも「織」の字が入ってます。そして斑馬の皮をスサノオ尊から投げ付けられ、ホトを付いて自害した稚女日尊も織姫です。この三人の女神はイメージが重なります。

考えてみたら川の流れも流離いの旅をしている訳です。上流の瀬織津姫、河口底の速秋津姫、そして海の底と思われる根の国の速佐須良姫。その場所その場所で名前が変わっているだけかも知れません。

勿論、断言はしません。速秋津姫は大山祇神の姉。大山祇神と同神とは言えませんが、その妻??の鹿屋野比売とも考えられます。大山祇神は日本の代表的な地主神です。日本と同じ意味の速秋津彦命と重なりますので。

最後に瀬織津姫です。八岐大蛇伝説の登場人物する女神の奇稲田姫と手名稚命は使っちゃいました。残る女神は八岐大蛇の生贄となった奇稲田姫の7人の姉達??しか残っていません。

考えてみればこの七人の女神が一番酷い目にあってます。八岐大蛇伝説の根本が犠牲になった7人の娘たちなのは間違いない。

近江国風土記によると、琵琶湖の竹生島は八岐大蛇である多多美彦命に姪の浅井姫が首を切られ、その首が竹生島となったとされています。

そして竹生島神社には浅井姫と共に宇賀福神、そして瀬織津姫と同神との説がある市杵嶋姫と弁才天も祀られている。

八岐大蛇に殺された繋がりで「七人の娘=浅井姫=市杵嶋姫=弁才天=瀬織津姫」となるのではないかと思えるのです。

神社に祀られている神々は基本怨霊です。酷い目にあった神が一番祟る訳です。そして酷い目に合わせた者が祟りを恐れている。そう考えると神社に祀られている神々の多くは日本の本来の神々である国津神が多い筈です。

私は天照大神は国津神であると考えていますが、祓戸四神は天照大神に繋がっている。否、天照大神の源流なのではと思うのです。だから天照大神荒魂が瀬織津姫となるのです。

そしてそれを知られては困るのが天照大神を始祖神としている大陸から渡って来た天孫族。今の天皇家です。

天津神は国津神ほ滅ぼした訳です。国津神は酷い目にあったのです。そして一番酷い目にあった神の呪い、祟りの力は絶大。その絶大なる力を祓い清めに変え、信仰することで祟りを弱める。そして自分達の守り神に昇華する。それか祓戸四神だと思います。

祓戸四神が誰なのか広く知られてはいけない。その反面、忘れられてもいけない。故に記紀に登場する速秋津姫の名前は残した。そして罪・穢れの源流である瀬織津姫を登場させ、本来の天照大神をベールで覆った様に思えます。

今回はあえて幸神信仰の考えを排除して考えてみました。まだ十分に幸神信仰に付いて把握していませんので。

でも調べれば調べるほど幸神信仰は辻褄が合います。幸神信仰が十分把握できたら、また同じお題で書きたいと思います。

 

ではでは。

 

 

 

コメント (8)
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