諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

次の大河ドラマは細川幽斎を希望する。その5

2016年05月16日 14時33分47秒 | 出版・テレビ・CM・ドラマ・映画

続きです。

信長が光秀に本能寺で討たれ、幽斎と忠興は剃髪し喪に服した。そして短気な息子の忠興は光秀の娘である玉を離縁し山小屋に隔離します。

信長は幽斎ではなく、忠興に12万石の所領を与えた。信長に恩を感じていたのは間違いないです。しかし岳父であり軍略の師匠であった光秀にも恩がある。辛かったと思いますね。そしてその辛さを玉にぶつけた。

忠興は信長の下で出世したかった。父が幽斎、岳父が光秀なら当然出世できた。それが反逆者の婿となってしまった。当然失望し怒り狂ったでしょうねぇー。また、その様な態度を取らないと秀吉や世間の手前もある。そうするしかなかったとも言えます。

玉はこの山小屋でキリスト教に関心を持ちます。玉に付き従った下女がキリシタンだったので。自分も一夜にして大名の妻から反逆者の娘に転落した。離縁された。気位が高く気性が荒い玉は幽斎・忠興親子に恨みを持ちます。その流れでキリスト教に走ったと考えられます。

その後、秀吉の仲介で忠興との仲を取り持たれたが、二人は別居状態のままです。忠興は側室を5人持つと玉に言った事で玉も激怒。どちらも短気ですからそうなると思います。

話を変えます。幽斎の文化人としての思想です。文化人としては同時期に茶道の利休がいました。息子・忠興も利休の門下に入り三斎を名乗っています。

利休は茶道に信念があり、その信念が利権となります。信長は恩賞として領地を与え続けるのは限界がある。そこで茶道を流行らせ茶器の価値を上げて恩賞としようと考えていた。故に利休たち茶人を優遇するようになった。茶器の価値を判断する人間が必要なので。

しかし茶器の価値を判断できる茶人はそれで権力を得る事になる。利権を行使するようになった。更に茶人の信念があるからこそ茶器の価値となる。そうなると秀吉も思いのままにならなくなる。それで利休は自害させた。そして信長の時代から考えられてきた朝鮮出兵も実行せざる負えなくなったと考えられます。茶器よりも領地でないと人は付いて来ないと考えたので。

幽斎の歌道は利権に繋がりません。幽斎の歌道は天下一品ですが誰からも憎まれないし警戒もされない。

例えばある公家が歌の下句に「と言う歌は昔なりけり」と付ければどんな歌にも合う。意味が通じると発言。周りの公家衆も「なるほど」と思います。

それに対し幽斎は「それは少々現実味がありません。生活感が足りません」と発言。怒った公家は「それでは細川殿は現実味がある下句が作れますか」と切り返す。

幽斎はしばし考えて「それにつけても金の欲しさよ」との下句を歌います。

幽斎は大名ではない。出家しているから城も無い。公家に比べれば慎ましい生活をしています。だからこの下の句でも嫌味はない。公家衆達は幽斎の立場ならではでの句に大爆笑します。現実性がないと言われた公家も笑いながら気分良く納得します。

彼の歌道は敵を作らない。判りやすく人の心を豊かにする。だから公家からも親しまれる。公家や武将からも師事するものが大勢出た。それが幽斎の戦力だと言えます。

この戦力は豊臣の天下でも、ものを言います。

九州制圧が開始され九州一帯を支配していた島津義久も降伏します。しかし、その弟の島津歳久は徹底抗戦の構えで川内川の城に陣取っています。

そこで秀吉は島津義久が幽斎の歌道の弟子である事を思い出し、幽斎に義久を通して歳久説得を頼みます。

幽斎は承諾。秀吉の力を切々と説き歳久の降伏を義久に頼みます。師匠である幽斎の頼みでは断れない。積極的に動くしかない。それで歳久の降伏に成功しています。

武力ではない幽斎の力には脅威は感じないが絶大な信頼がある。黒田如水の様に警戒もされない。恨まれず脅威でも無く人を動かす力は、戦国時代では幽斎の独壇場だと思います。

 

続く。

 

 

 

 

 

 

 

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