諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

次の大河ドラマは細川幽斎を希望する。その6

2016年05月17日 10時52分38秒 | 出版・テレビ・CM・ドラマ・映画

続きです。

細川幽斎のメーンイベントと言うか、もっとも波乱だったのはやはり関ヶ原の戦いでしょう。

この関ヶ原の戦い、戦国史上と言うより世界的に見てもありえない凡戦と言いますか、呆れ返る駄戦でした。何たって東西とも主力軍が参戦してなかったのですから。

最近の研究で関ヶ原の戦いの東軍の総大将は徳川秀忠であった可能性が指摘されています。家康は隠居で息子の働きを観戦するつもりだったようです。

自慢じゃないですが私は初めからそう思っていました。徳川の主力部隊38000人の秀忠軍には、参謀として家康の側近・本多正信がいたのですから。

でも徳川秀忠と本多正信は相性が悪かった様に思えます。正信は家康の跡継ぎとして結城秀康を押していましたから。それで正信に対し不信感があった。だから正信が反対するのも聞かず、真田昌幸・信繁親子の挑発に乗って第二次上田合戦をやっちゃったのだと思います。

真田軍2500~3000の兵に対し秀忠軍は精鋭38000の兵です。簡単に勝てると思ったでしょうし、第一次上田合戦の仇を取りたかったのでしょうね。

それで昌幸の挑発に乗って戦ってしまった。またまた翻弄された。終いには関ヶ原の戦いには間に合わなかった。

秀忠は戦には向いていません。二代将軍になるのを正信が反対したのも判ります。とんでもない凡将だと思いますね。

本来、関ヶ原の戦いは軍事的に見れば東軍が初めから有利でした。勿論、秀忠軍が参戦していたらの話です。しかし秀忠軍は来なかった。これは家康もこれは誤算だった。俄然、西軍が有利になってしまいました。

慎重な家康は西軍の武将に裏切りを持ちかけていた。形だけではありましたが西軍の仮の総大将だった毛利輝元でさえ裏切りを考えていたのです。それなのに徳川の主力であり本来の総大将である徳川秀忠が来なかった。これでは裏切るかどうか迷います。私が小早川秋秀でもやっぱり迷っちゃいますね。こうなっちゃったら。私は小早川秋秀の気持ちも判りますよ。

でも西軍もポカをしちゃっていたんです。何たって信頼できる西軍の15000の兵が参陣出来なかったのですから。

細川忠興は彼の性格から言って本来は西軍に組する筈だったと思います。彼は信長の家来でしたし、その流れで秀吉の家来となっています。彼は短気な正義漢です。直情で家来を切る事もしばしばありますが、曲がった事は嫌いです。だから岳父の光秀を嫌った。その流れで玉と別離した。彼は裏切りを嫌います。当然西軍に付いた筈です。

しかし、茶道の師である利休を秀吉と三成によって自害させられた。美しい妻の玉に秀吉はちょっかいを出した。それで嫌気が差した。だから家康に付き従っていたと思われます。

綺麗な水には魚は住まないものです。清廉な三成には同じく清廉で正義の大谷吉継や上杉家が味方しましたが、直情型の正義感である忠興は、清濁併せ持つ家康の水の方が泳ぎやすかったと思われます。

更に忠興は玉に対して愛情もなくなっていたが、秀吉が取り持っていたから形式上の夫婦を続けていた。キリシタンとなっていた玉も離婚は出来なかった。そこで玉は関ヶ原の決戦で石田三成の人質に取られそうになった。玉は自害を考え家臣の槍を胸に受け死亡する。こうなった場合どうなるか。

愛情が無くなったと言え玉は忠興の正妻です。妻が亡くなった原因を作った三成の西軍にはますます付く訳にはいかない。西軍に付いたらとんでもない腰抜け。末代の恥です。私だって東軍に味方します。家康が嫌いでもです。

 これは三成、本当に馬鹿な事をしたと思いますね。これで多くの武将が家康側に付きましたから。

 

続く。

 

 

 

 

 

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