台風が去って今日はいい天気でした。暑いのは苦手ですけど。爽やかです。それではウンコの話を続けます。
母は風呂場にも行って見た。ここもウンコだらけ。水が止められているから風呂にも入っていないのだろう。水無しで暫く暮らしていたのは間違いない。水道代を払うお金が無かったのだろうか。
それは無い筈です。コンビに弁当の容器が大量にある。そして水やお茶、ジュース等々の大型ペットボトルも物凄い量が転がっている。電気代は払っていた訳だし、水道代が払えない訳は無い。
私の記憶が曖昧ですけど、当時はコンビニでの支払いはやっていなかったのかも知れません。東北電力の営業所は割りと近くにあります。しかし仙台市水道局は街中に合った。だからめんどくさがって払いに行かなかったのだろうか。
ホステスだから仙台の繁華街である夜の国分町で働いていたと思われます。仙台市水道局は国分町からは近いのですが、夜は水道局は当然閉まっている。だから支払いに行けなかったのでしょうか。うーん、判らない。
私も浦安に住んでいた頃は部屋も結構汚かったのでありますが、ゴミの上で寝る程汚くはしていません。勿論、ウンコだらけになんかしてませんよ。
多分、そのゴミ屋敷のホステスはスーパーグウタラだったと思われます。こんな女性に育てられたら子供もぐれる筈です。子供に問題があったのは、間違いなくホステスの母親に原因があった。こんなゴミ屋敷では子供も逃げて行くのは当然だと思いますね。
当初は勿論ゴミ屋敷じゃなかった訳ですが、どうしてここまで生活が乱れたのか。やっぱりあの12気筒のBMWがカギだと思います。多分、恋人かパトロンと別れたのでしょう。彼女は男性依存症だったのかなぁー。横柄な態度から男っぽい女性に思えたがなぁー。
そんなことは私の一番不得意な分野なので何とも言えませんが、水商売のストレスもあったかも知れませんね。これも私には判らない世界なので何とも言えませんけど。
話をゴミ屋敷、否、ウンコ屋敷に戻します。
母は一旦家に帰り、スコップを持って来てウンコの山となっているトイレの前に立ちました。部屋をこのままにはしておけない。ウンコを片付けなければと思って。もう母の頭の中はウンコしかなかったみたいです。
そしてトイレのウンコ山にスコップを突き刺す。ボォエェェェェェーーー、物凄い悪臭。内臓が全部出るくらいの吐き気をもよおし、母はその場に蹲り吐き気に耐え嗚咽していました。
そして「何でこんな事、何でワッッシがやらなければならないんだぁー。やっちゃくねぇー、わぁー」と絶叫。ウンコにスコップを突き刺したまま、悲鳴をあげてウンコ等の片づけを断念。家に逃げ帰りました。
私もそれは無理ないと思います。一人であれだけのゴミとウンコを片付けられる訳がない。何台トラックが必要なのか判らないゴミとウンコの量なのですから。
続く。