諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

長谷川豊氏の人工透析患者への発言を考える。その1

2016年09月26日 22時32分39秒 | 出版・テレビ・CM・ドラマ・映画

考えさせられました。長谷川豊氏の「自業自得の人工透析患者なんて、全額実費負担にさせよ! 無理だと泣くならそのまま殺せ!」との発言には・・・・・・・・・。

実は私、「このままだと60歳頃には人工透析になっているよ」と言われていたのです。内科の医者に。一時期、糖尿病で血糖値が300以上有りましたからね。確かに確率的には十分あったと思います。うーん。

私、もしそうなったら死のうと思っていました。何たって注射恐怖症てす。注射器を見たたけて過呼吸になります。血糖値を計る為に血液を採る時は失神寸前になります。勿論、失神した時もあります。それだけ私は注射が怖いのです。

先ず1分持ちません。1分以上針を刺していたら必ず失神します。その私が4~5時間も腕に針を刺し透析なんて出来る訳無いじゃないですか。

否、失神しているから出来るかも。うーん、判らん。でも私は透析は受けたくない。もしそうなったら死のう。そこまでして生きていたくない。それは当時も今もそう思います。私は尊厳死を望みます。

何と言っても私、インシュリン注射を拒否しましたからね。そこまでして生きていくほど私には価値が無い。第一、自分で注射するなんて無理です。だから私は「インシュリン注射するくらいなら死んだ方が良いので拒否します」と医者に言った位ですから。

その後、別の病院で鼻の手術をする事となり、ホッチキスみたいなパチンとやる血糖値を計る機械で調べたら血糖値は正常だった。

病院食を食べていたからとも言えますが、一番の理由は注射への恐怖から血糖値と血圧が急上昇するのが判った。私の糖尿病はそれほど重症ではない。境界線付近だった。インシュリン注射をしていたら、大変なことになっているところだった。医者の意見を跳ね除けて良かった。

ホント、これは私の人生で滅多に無い不幸中の幸いでした。強い薬を飲まされましたが、インシュリン注射しなくて良かったです。もし医者の言う事を聞いていたら一生インシュリン注射だったかも知れません。

人間なんてそんなに大した差は無い。医者だって間違いはある。人を信じない事も時には大切だと思いましたね。

さて、そろそろ本題に入りますか。

以前通っていた病院の2階は透析用のベッドが40台程ありました。毎月、糖尿病の食生活に付いて、管理栄養士の栄養指導をその2階で受けていていたのですが卒倒しそうでした。殆どのベッドで透析患者が横たわって透析を受けているのですから。

血液が機械と体を循環しているなんて見ていられません。見ていて過呼吸になります。私はやっぱり無理です。私には透析を受ける勇気が無い。怖い。そこまでして生きていく気力も無い。私の人生、そこまでして生きていく価値が無い。

私にとって透析は死より恐ろしい。透析を死ぬまで続ける人生なんて絶対にありえない。絶対に無理。絶対に嫌。或る意味、透析を受けている人に対しお気の毒との思いを通り越して、尊敬さえ感じます。そこまでの人生を送っている方々に対し、土下座して謝りたい思いになります。ちょっとした事でくよくよする私の心の弱さをです。

辛い人生を送るのです。本当に平伏したい思いで一杯になります。

 

続く。

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