諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

平将門公の恨みを晴らしたのは源義経!? その2

2016年09月17日 07時25分45秒 | 伝説

続きます。

こじつけ論を書く前に何故平将門公と源義経を関連付けたのか書いときます。

以前、「永井平九郎と御鍋神社」と題して記事を書きましたが、御鍋神社のある天栄村の羽鳥湖には「桔梗清水」なる山の名水百選に選ばれた小さな瀧が存在していて、そこで源義経の側室である桔梗姫が出産した時に使用した清水とされています。「桔梗の姫の隠し清水授水場」とも呼ばれているのです。

源義経の側室と言ったら静御前です。桔梗姫では有りません。桔梗姫は平将門公の側室なのですから。

でも不思議だと思いませんか。源義経の仮名は九郎。源九郎義経です。永井平九郎も九郎。九郎繋がりです。

勿論、間違っていると思います。桔梗清水は山形の出羽にもあります。誰かが村興しではないでしょうが、源義経伝説をでっち上げて永井平九郎とごっちゃになってしまった。そう考えていますが、この間違いが多少なりとも関連があるのではないかと考えていました。

そこで思いついたのです。平将門公の仇を討ったのは源義経ではないかと。

そんな藁をも掴むこじつけです。殆ど冗談に近いのです。でも何かある。もしかしたらと思っていました。その程度です。気楽にお読みください。

さて、以前「永井平九郎の兄は安倍清明!?【平将国伝説】」を書きましたが、ピンと来ましたでしょうか。今回のお題を書く為に先駆けて書いた事を。

平将門公の唯一生き残った息子の平将国が安倍晴明であると言う伝説がある。そして茨城にも安倍晴明を祀る神社があり、大阪だけでなく茨城にも新太と言う地名がある。私は少なからず坂東平氏と安倍氏は接点があるのではないかと考えています。

平将門公の一人だけ生き延びた息子・平将国。どの様に逃げ延びたのかは不明。そして平将国が巡り巡って安倍清明になったとまでは言わないまでも、一族同士で接点があった。それが正しいとは流石に断言なんて出来ないが、仮にそうだとしたら源義経に繋がる可能性がある。

そう言うことで平将国を安倍晴明と仮定してその過程を述べます(ややこしそう)。

安倍晴明が平将国であるのなら安倍晴明も平貞盛と藤原秀郷を恨んでいる訳です。父の仇。一族の仇なのですから。

茨城から何らかの伝で大阪に流れて来た。平将国は安倍晴明となった。そして子々孫々と恨みを伝承し続けてきた。そして時代が流れ源義経に繋がる人物が出た。その人物は鞍馬天狗こと鬼一法眼。鬼一法眼は義経の兵法の師と言えますからね。

鬼一法眼の存在は疑問視されているが、鬼一法眼を祀る神社である鬼一法眼社がある。いなかったとは言い切れない。因みにその裏の崖の上には魔王尊が祀られ、魔王の瀧が流れているているそうです。これは何れまたの機会に話したいと思います。

話を戻します。鬼一の「鬼」ですが、怨霊の意味合いも有ります。そうなると平将門公も恐れ多いですが朝廷に反逆した鬼であります。関連があるように思えます。

そして鬼一法眼の家は安倍晴明の直ぐ近所にあった。鬼一法眼も僧侶であり安倍晴明同様陰陽師であります。そうなると安倍晴明の子孫、もしくは弟子の可能性は十分にある。

更にですが、義経は鬼一法眼の兵法の書である「六とう三略」を盗んだとされていますが、この書は坂上田村麻呂も読んでいたし、平将門公もこの書により分身の術を身に付けたとされています。

事実、将門公には七人の影武者がいたと言うのは有名ですし、鉄人だったと言う伝説も残ってます。これって「六とう三略」の軍略から来ているかも。

もしかしたら鬼一法眼が持っていた「六とう三略」は平将門公が所有していた書かも知れない。将門公も義経も裏切られて敗れはしましたが、優れた軍師でも有ります。

「六とう三略」と言う同じ兵法を使うと言うのは、将門公の恨みを晴らしたと言う理由の一つになるかも知れません。

 

 

続く。

 

コメント (8)
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