諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

平将門公の恨みを晴らしたのは源義経!? その1

2016年09月16日 07時02分06秒 | 伝説

私、子供の頃からも呪いや祟りについて考えています。何故か悲劇のシナリオを演じてしまう人生を歩んでいますし、親族も不運や障害に悩まされていますしね。

特に二人の自殺者が出た場所で事故死した従兄弟、列車事故で片足切断しながらも助かったのに、違う血液を輸血され亡くなった父方の祖父、そして左手の掌に先天的な障害を持つ妹と弟。事故と怪我で同じく左手の掌が多少不自由な父と私。この理由が判らない。こんな負の偶然が続くものなのだろうか。祟りではないのか。呪いではないのか。何時も何時も長年考えてきました。未だに未だに判らずです。K宮司の仰る通り、祖先の因果が原因とは考えていますが。

ただ、呪いや祟りが実際は心霊的理由ではなく、物理的と言うか、故意によるもの。伝承されたものではないか。その考えもゼロとは思わない。

恨みが子々孫々にわたって伝承され、人為的に晴らされ実行される可能性も十分ある。それを考えたい。

今回の話は一つの可能性。「もしかしたら、こう言う事もあるかもよ」的に書きます。別に主張する訳ではないです。因果な巡り会いが私の人生の一つのテーマになっている感じがして、以前から考えていた事です。ご了承頂きお読みいただければ幸いです。

さて、日本史上朝廷や天皇に反乱を起こした逆賊と言ったら、貴方は誰を思い浮かべますか。

私は古い順から長髄彦、アテルイ、そして平将門公です。中でも私、将門公が大変怖い。

以前、東京は兜町で働いていたのですが、大手町の「将門の首塚」にはとうとう行きませんでした。それだけ恐怖を覚えていたのです。

実は私の本姓は将門公の血筋から出ています。伝説ですが将門公と側室・桔梗姫との子に永井平九郎がいる。

しかし将門公の敵となった叔父の平良兼の流れにも同姓がいます。どちらが私に流れているのか判らない。叔父の方の流れだったら祟られるのではないかと恐れていたのです。大変怖いのです。

でも何時までも怖がっていられない。そして意を決して福島県天栄村に鎮座する御鍋神社に参拝に行きました。御鍋神社の主祭神は永井平九郎。配神は平将門公とその側室である桔梗姫。

桔梗姫は将門公を裏切ったとされているのですが、一緒に祭られています。これは多分、日本で唯一だと思います。そして永井平九郎が祀られているのもこの神社だけの筈。以前からどうしても参拝したいと思っていたのです。

結果、穏やかな時が過ごせました。怖さがありますが私に対して怒ってはいない。許されている。そう感じられました。ほっとしました。これこそが本当の参拝だと思います。これからもこんな感じで参拝を続けたい。仙台から車中泊で来た甲斐がありました。

さて、話は最初から曲がっちゃいました。すみません。ここからが本題です。

日本最大の怨霊といったら平将門公を上げる人が多いと思いますが、将門公が特に恨んでいる人物が大まかですが二人います。将門公が戦で命を落とす結果となった従兄弟の平貞盛と、俵藤太こと藤原秀郷。この二人に対して並々ならぬ恨みがあったと考えます。

そして平貞盛の子孫は平家の棟梁・平清盛。藤原秀郷の子孫は奥州藤原三代の藤原秀衡。共に滅んでいます。これが平将門公の呪いによるものだとしたらどうでしょう。

呪いに関しては私は間違いなく存在すると確信しているのですが、詳しく説明せよと言われてもぐうの音も出ません。説明のしようかありません。

ただ、平将門公の恨みを晴らした人物がいるとしたら考えられなくも無いです。平清盛と藤原秀郷と接点がある者がその人物と考えられます。

っと考えると二人に面識がある源義経が一番怪しいのではないでしょうか。

当然、平将門公と源義経は会った事などありません。平将門公は生誕は不明。940年に亡くなっています。源義経は1159年に生まれ、1189年に亡くなっている。つまり時代が約200年も違うのですから会える筈が無いです。

ただ、この200年の間に平将門公の恨みを晴らしてくれと源義経に伝えたものがいるとしたらどうでしょう。十分有り得るのではないでしょうか。

今回はそれを私特有のこじ付け論で考えてみたいと思います。

 

つづく。

 

 

コメント (4)
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