前回、「さくら野百貨店仙台店自己破産」の記事を書きましたが、書いてて私立の中学に入学しての最初の友人になったO君の事を思い出しました。O君の父親は丸光時代のさくら野百貨店の役員だったので。辛い思い出ですけど。
私がO君の場合どうしたら良いのか。何度か考えました。
答えは死しかないのではないか。死んだ方が良いのではないか。そしてO君も死んでいるのではないか。その方が良い。死んだ方が幸せ。否、残された者はどう思うか。その残された者も彼の死を望むのだろうか。これは判らない。現実に体験しなければ判る訳が無いのではないか。
生きるのが辛ければ死んだ方が良い。だか残された者がどう思うか。それで判断するしかない。それが正しいのかは判らないですが、この記事を読んで頂いている奇特な皆さんならどう思いますか。それでも生きた方が良いのか。是非、考えてみて下さい。
それでは書きます。
私は中学から私立でした。仙台の中心部にある男子校の中学・高校へと通っていたのです。大学までエスカレートで普通なら上がれる中・高・大一貫教育の学校です。私は学力的に劣り受験しましたが。そのお陰で希望の経済学部に入れましたけど。
考えてみたら中学から男子校は色々な意味で良くないです。今の宮城県の高校は大抵男女共学になりましたが、私の時代もそうだったら私も大学には行けなくても、違った人生になっていたと思います。
それより普通の公立の中学に普通に進んでいたら、間違いなく違っていたと思います。出来ないなら出来ないなりに出来なくてもいい学校に入るべきだと思います。私のような落ちこぼれで捻くれ者にならないためにも。
私がこの学校に進んだのは勿論親の薦めですが、やっぱり相性なんです。親子も。相性が悪いと悪い方向にお互いに向う様な気がします。
もし子供を愛せない、こんな親は嫌だと言う気持ちがあるなら、国が音頭を取って引き離し、施設で育てる対応を取って頂きたいと思います。日本は少子化です。子供は宝。大切にしなければならないですから。
さて、私立中学に入り私の小学校の友人関係は切れました。結構小学校では人気者だったのですが、まぁー、やっぱり色々ありました。やっぱり切れた方が良かったのかも。やっぱり判らないですね、人生は。
中学に入って最初の友人となったのは前出のO君でした。O君は隣町に住んでいましたし、お互いに釣りが好きでしたし。
何度か一緒に釣りに行きました。聖書の授業のレポート提出で、プロテスタントの教会へ二人で礼拝に行った事も有ります。私とは気が合っていました。
その後、クラス替えがあったり、O君が不良っぽい連中と付き合うようになる。私は劣等生に成り下がったりで、彼とは挨拶程度になりました。それでも何時も気にかけていました。
時は過ぎ中学、高校を卒業し大学に入学。私は経済学部。彼は法学部。たまに大学ですれ違う程度の関係になりました。
そして大学を卒業。私は中堅の証券会社。O君は栄養ドリンクで大変有名な大手製薬会社に就職しました。
つづく。