この矢沢宰さんは7歳で腎結核を発病。8歳で片方の腎臓を摘出。そのころから死を意識して生きて来たみたいです。そして14歳で詩を書き始め、21歳で亡くなったそうす。
もう最初の出だしから生きるか死ぬかを書いています。14歳でです。14歳から21歳までずっーと生きるか死ぬか。頑張ろう、駄目だ。期待と挫折の交錯。チョッとした出来事にも一喜一憂。読んでいて辛いです。
過ぎ行く日々、季節に置いてきぼりをくらう感覚。付いていけない自分が情けない。他人には出来て、自分には出来ない。
慰めてくれる物は病室の窓から見える景色、草木花々、流れる雲、雪、小動物、白いナース着の看護婦さん、そして母親。それだけを想って生きている。
そして憎んでいるのは弱い自分。悪い自分。悪く弱い自分との戦いの日々。悲し過ぎます。
そう言えば福島県の放射能による帰宅困難地域に結核病棟がありましたが、以前は結核は死に近い病で、若い人が多くなくなっていました。
私もいわき市在住の5歳の頃、腎臓病で2週間ほど入院していた事がありましたが、ずっーと小学校にも行っていない子供が同室にいました。この矢沢さんも絶望の中、僅かな希望に縋り勉学し遅れて高校にも進学しましたが、それも価値があるのかも判らない。病は辛いですね。
ここで矢沢さんの詩で心に残ったものを3つ書きます。
鮒
われわれは
水分の少ない泥の中で動いている鮒だ!
頭を持ち上げたり 身をよじったり 生きよう生きようとがんばる。
鮒は世の中のもの追いつこうと必死である。
動けば動くほど悪いとわかっていても・・・・・・・・。
それでも鮒には時々、
澄んだ水が流れてくる時がある。
するとすぐ有頂天になってしまう。
だがまたしょげてしまう。
それは泥の中しかわからないと想って・・・・・・・・。
鮒が見るのは空の色だけである。
空に夢を話すこともある。
少年
光る砂漠
影をだいて
少年は魚をつる
青い目
ふるえる指先
少年は早く
魚をつりたい
小道がみえる・・・・・・・・
小道がみえる
白い橋もみえる
みんな
思い出の風景だ
然し私がいない
私は何処に行ったのだ?
そして私の愛は? (絶筆)
この三つの詩、全部判りますね。手に取るように私には判ります。
特に最後の詩の「私は何処に行ったのだ?」。
悪くて弱い自分と戦っていたのだが、その悪くて弱い自分こそが自分自身だった。その自分が消えた。悪さと弱さの克服は死しかなかったと言う事でしょうか。辛いですね。何時も死を意識して生きるのは。
私の従兄弟も同じ21歳で亡くなりましたが、死は突然やって来る方がマシなのかな。彼はやれる事はやっていたみたいだし。でもやりたいことはまだまだ有った筈だけど。
私と従兄弟と矢沢さんの共通点は釣りが好きだと言う事だけど、もっともっと釣りたかった筈。魚に限らず。色々な人生を。
ではでは。