諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

否、やっぱり因幡の白兎のワニはイルカだったのかも。【海豚参詣編】その1

2017年03月10日 22時47分00秒 | 神道

前回、「因幡の白兎に出てくるワニはシュモクザメではないか」と言ってましたが、早くも異説を唱えます。やっぱりイルカかも知れない。それでイルカで考えたいと思います。

イルカも古事記に出てきます。「入鹿魚」として。鯨も「久治良」で古事記に記載されています。狭目と古事気に書かれている以上、イルカもクジラも鰐では無いですね。

それにしても蘇我入鹿ってイルカの事だったのか。知らなかった。

海豚と書いてイルカ。因みに河豚はフグです。これらの漢字は当て字です。つまり漢字の伝来前からイルカと発音されていたのは確かだと思います。

イルカってどう言う意味なのか。直訳すると「我らの道の上、我らも道」となるのでしょうか。うーん、意味が通じない。「人は死んだらイルカになる」と言う意味じゃないでしょうし、これは判らないです。アイヌ語では解明出来ないです。

そこで「イルカ」と「信仰」で検索。そしたら「海豚参詣」なる考えが出てきました。

ウキペディアによると、「日本では海豚、そして鯨や鮫も人と同様な寺社に参詣する」のだそうです。えっーこれも知らなかった。イルカやサメ、クジラが参詣しているところなんて見た事無いし。

サメは魚類で唯一霊魂を持っていると言うのは仏教面での話だと思いますが、昔の人はサメもイルカもクジラも同類の魚だと思っていたのではないでしょうか。

平安時代に入ると獣肉は穢れとして食されなくなりました。建前では。実際は食べていましたけど。

だから穢れた獣肉ではなく猪肉を牡丹肉、馬肉を桜肉と言い張って食べていたのです。しかし、イルカ、サメ、クジラはあくまでも魚と考えていた。だからクジラの肉は天皇家にも献上されていたそうです。

サメは前回も書きましたが交尾をする。子供を卵ではなくそのまま産む。イルカ、、クジラは哺乳類だから当然そう。魚と思ってはいるが、ただの魚ではない。その考えから哺乳類のイルカ・クジラは当然ながら、サメも霊魂を持っていると考えられていたのかも知れません。

さて、話を「海豚参詣」に戻します。当然ですがイルカが神社やお寺に参詣する筈はありません。では何故「海豚参詣」との考えが生まれたのか。

海豚参詣の民俗は全国にあり、墓参り、観音参り、磯部様参りとも呼ばれています。イルカの群れが縦一列に並ぶ様を「イルカの千本づれ、千匹ガチ」と呼ぶそうですが、この縦一列に並んで泳ぐ様が参詣に行く姿と重なったから「海豚参詣」の伝承が生まれたのではないでしょうか。

 

つづく。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする