続きです。
お話の途中ですが、ウキペディアによると「通りゃんせ」発祥の地とされている三芳野神社に童謡「通りゃんせ」誕生の謂れが書かれてました。今ごろ気が付きました。しかも私の考えよりも的確です。自信が無くなってきた。どうしましょう。
一応書いて置きますと「通りゃんせ」の舞台は同神社の参道。川越城が築城され天神の曲輪に位置していた事から「お城の天神さま」と呼ばれた。城の中に天神社があるので、一般客の参拝は出来なくなった。それでも信仰が篤いので一定時間のみ参拝が許された。
しかし、この天神様に参拝するには川越城の南大手門から入り、二重、三重の門をくぐり、えらく城の敷地を周りに周って、さらにまた小道を通り三芳野神社へ行ってた。そうなると密偵が参拝客に紛れてスパイ活動されては不味い。だから帰りに参拝客を厳しく調査した。それが「行きはよいよい、帰りは恐い・・・・」と唄として歌われる様になったとの事です。
あるほどねぇー。これは決まりかも知れません。納得です。
でも疑問点は有ります。三芳野神社に参拝するために一般の参拝客が城の境内に入っているのに、小道まで来て「通さない」と言うのが変です。
それに天神は学問の神・菅原道真。七つの子の御札を納めに参るのであれば、七五三参りの筈。どうして菅原道真なのかも疑問。矛盾しています。菅原道真は左遷され怨霊とはなったが、天皇家の血筋です。信仰は否定されていない筈。
「御用の無い者通させぬ」と言ってますが、神社には誰だって参拝に行く訳です。それなのに何故通さないと言ったのか。そして「七つの子のお祝いの御札を納める」のであれば良いのか。そこが疑問です。
そこで私の稚拙な考えでは、三芳野神社はさいたま市の氷川神社を勧請したとの説がありますが、舞台が三芳野神社で無くても菅原道真を祀る神社に七五三参りをするのは不自然。
七五三は子供の生長を感謝し神社にお参りする。昔の子供は夭折しやすかった。その一因は疱瘡。
そして注連縄は七五三縄とも書く。そして注連縄は境界線。最初に注連縄が使用されたのは天岩戸から天照大神が出て来た後、天岩戸に開かないように結んだ。
そう考えると七五三は疱瘡神と境界の神、そして天照大神に何かしらの関連があると思われる。もしかしたら七五三参りの母娘は天神・菅原道真に参るのではなく、その神社の地主神に参るのではないだろうか。
私の友人の神社では七五三参りが有名です。そして祭神は天照大神。そして大歳神のファミリーも祀られている。
大歳神は境界の神であり、何れ詳しく語りたいと思いますが疱瘡神です。
私は童謡の内容から関所の役人と参拝の母子の話だと考えています。関所の横に小道があった。だから母子は小道に付いて尋ねた。天神様だと役人は答えた。母子は天神様の地主神が誰なのか知っていた。子供を守る神である事を知っていた。
関所の役人もそれは知っている。しかしその地主神への信仰は朝廷に敵対する行為。その信仰は許されない。だから「参拝するのは勝手だけど、帰りは禁じられた信仰をする者として厳しく取り締まるぞ。それでもいいのなら通れ」と言ってるのではないでしょうか。
ここでのキーワードは関所です。関所の神は道祖神。
道祖神祭りは子供の穏やかな成長を祈るまつりです。そして道祖神は安産の神であり、子供の神でもある。つまり細道の天神様を祀る社の地主神は道祖神で、母子は道祖神に御札を納めに行きたかったのだと推測します。
仮に「通りゃんせ」の舞台が三芳野神社だった場合、どの神に御札を納めに行きたかったのか。
三芳野神社に祀られれている神は、スサノオ命、奇稲田姫、菅原道真、応神天皇です。私はこの神々ではないと思います。
それでは誰なのか。氷川神社から観請したのであれば氷川神社摂社の門客人神社に祀られている手名稚命・足名稚命だと考えます。
この二神の名は子供を手で撫でる、足で撫でる様に可愛がると言う意味もあります。そしてその子には奇稲田姫を含む8人の娘がいた。その点からも子供を守る神だと言えます。
そして門客人とは地主神を意味する。氷川神社の門客人神は境界神・アラハバキ神と伝えられていますが、手名稚命・足名稚命がアラハバキ神であると私は考えます。
手名稚命・足名稚命は妖怪・手長足長とされます。そしてアラハバキ神であるなら、道祖神であると言えます。忘れられ蔑まれた存在です。その信仰は朝廷も咎める筈です。
以上から七五三参りの母子は、道祖神の流れの上記の神々に御札を納めに行ったのだと考えます。今の所はです。以上です。
ではでは。