続きです。
天孫降臨の地は九州宮崎県の高千穂。猿田彦命は高千穂まで天孫族御一行を案内します。
ここで疑問なのですが、何で高千穂だったのでしょう。
だって現在、天照大神が鎮座する場所は伊勢。そして猿田彦命の住まう場所も伊勢。最初から天照大神率いる天孫族を伊勢に連れて行けば良いのに、遠く離れた高千穂に連れて行った。
これは猿田彦命の策略だと思えます。
自分の拠点である伊勢から、遠く離れた九州・高千穂に天孫族を連れて行く。自分達と天孫族は相容れない。その想いから高千穂を天孫族に差し出したのではないか。
しかし、その猿田彦命の意図は天照大神も察知していた。
だから猿田彦命の伊勢への帰郷に、天宇受売命を同行させた。
ここで問題なのは猿田彦命と天宇受売命は夫婦となった。故に天宇受売命は猿女と称したと言われてますが、一緒には暮らしていません。天宇受売命は日向に帰った、若しくは伊勢の近くの志摩に留まったとされています。
私は志摩に留まり、猿田彦命の動向を探っていたと考えています。志摩には猿女の一族が住んでいましたから。
そして猿田彦命は伊勢にて漁に出て比良夫貝に腕を挟まれ、溺れて死んだとなっています。
この比良夫貝はシャコ貝と考えて良いでしょう。東南アジアにも猿がシャコ貝に腕を挟まれ溺れ死ぬ話が伝わっているし、身長210cmの猿田彦命と言えども、2メートルまで成長するシャコ貝に腕を挟まれたら脱出は不可能。溺れ死ぬしかない。
でも、この比良夫貝が女性器。つまり天宇受売命を指していたらどうでしょう。
猿田彦命は志摩に潜伏していた天宇受売命の色仕掛けに溺れた。そして命を落としたとしたら・・・・。
そう考えると天宇受売命が魚を集めて「天津神の御子に仕えるか」と質問。黙っていたナマコに腹を立てて、ナマコの口を刃物で引き裂いたと言う話も理解出来る。
これは猿田彦命が亡くなってから、伊勢志摩の猿田彦命の残党にニニギ命に忠誠を誓わせた。誓わなかった者達を殺したと考えられます。本当の魚に忠誠を誓わせたとしても全然意味は有りませんから。
その後、時代は流れ倭姫命が登場。杖を付き付き諸国を漫遊し、猿田彦命の子孫とされる太田命の道案内で伊勢の地に辿り着き、天照大神の住まう伊勢神宮を建立した。
これは天照大神と天宇受売命の念願。伊勢志摩を平定し伊勢に天照大神を降臨させた。猿田彦命の一族に忠誠を誓わせた。完全に猿田彦命に勝利したと言えます。
っと書いて来ましたが、それは古事記、日本書記でのストーリーからの判断。
古事記、日本書記は勝者側の書。天孫族、天津神に都合良く書かれているのは明白。それが全て正しい訳ではない。
それでは猿田彦命と天宇受売命の関係はどうなのか。
それはまたの機会に私の考えを書きたいと思います。
ではでは。