諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

高良玉垂命はその名の通り神功皇后だと思うのだが・・・・・。その10

2021年07月04日 00時07分35秒 | 神道
続きです。

私は出雲の事代主と三島溝咋姫と結婚した恵比須様は別神だと思ってます。

先ずは時代が違う。そして事代主は役職名。巫女のリーダーの意味です。その時代、時代に事代主がいてもおかしくない。

多分、出雲の事代主の一族が三島に現れ三島の地を奪い、王女と言える三島溝咋姫と婚姻関係を結んだ考えます。

山幸彦は浦島太郎のモデルですが、イメージ的に恵比須様に通じます。釣り竿を持っていたり。山幸彦は時代を跨いだ恵比須様なのだと言えます。

三島溝咋姫は大山津見神の一族だったが、事代主の一族に襲われ三島の国を奪われた。敵の事代主と結婚しなければならなかった。

そして五十鈴媛を産んだが、その娘の五十鈴媛が神武天皇と結婚した点を考えると、また天皇の一族に三島の地を襲われ奪われたのだと思えます。かなり酷い目にあった女神です。

しかし、その血筋は天皇家に受け継がれた。不本意ですがそれは幸いだった。そして仲哀天皇まで血が続いた。

しかし、住吉大神の祟りで仲哀天皇は亡くなった。

私、住吉大神の祟りと言うのは嘘だと考えます。天皇の血筋は分断された。新しい応神天皇の流れになった。

その証拠に三韓征伐から帰った神功皇后と武内宿禰は、仲哀天皇の子である忍熊皇子兄弟を討伐し、前天皇の血を消した。これは大罪と言えます。

中でも一番怒っているのは三島溝咋姫でしょう。

三島溝咋姫の祖父である大山津見神は、瓊瓊杵尊に木花咲耶姫と岩長姫を嫁がせた。醜い岩長姫は返され、それを恥じて自害した。

岩長姫を嫁がせたのは天皇家が岩の様にな長寿になるようにとされているが、考えようによっては大山津見神と岩長姫の祟りによって短命になったと言えます。

その大山津見神の家系の三島溝咋姫の血が途絶えた。そうなると応神天皇からの天皇家に祟りが生じる。それを恐れて多くの八幡神社に玉依姫、つまり三島溝咋姫を祀っているのではないでしょうか。

今回のお題ですが、仙台の亀岡八幡宮を考えながら書きました。何で「亀岡」なのか。何でその地に瀬織津姫を祀る瀧澤神社が鎮座していたのか。何でそれが移されたのか。

私は瀬織津姫の名はカモフラージュ的に創造されたと考えていますが、三島溝咋姫が瀬織津姫のモデルの一人と考えています。悪玉姫伝説等からです。

そして亀岡八幡宮には祀られてはいませんが、全国の多くの八幡神社に祀られている比売大神は三島溝咋姫と確信しています。

三島溝咋姫の名を出したら、朝廷側としては都合が悪い。だから単純に比売大神としたのだと考えます。

以上、長々と書いてまいりましたが、これは私の考えです。主張する訳ではありません。

くれぐれも私の話を妄信して、全国の八幡神社にご迷惑に質問をするのだけはお止めください。

それでタイトルに神社名を出すのを躊躇していました。多くの神社はスピリチュアルな方々の行動に迷惑しています。その点を考慮してください。


ではでは。











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