諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

東日本大震災からもう11年か。まだ11年か。

2022年03月11日 20時30分48秒 | 東日本大震災
早いような、遅いような。あの日から11年か。

ガッシャン、ガッシャン、バギィー。まだ耳に残っているよ。うちのマンションが半壊した音が。

否、あのバギィーっと言う音は私の心がブチ折れた音でもある。折れた心は未だに治っていないな。

中学三年の時は宮城県沖地震を経験した。自転車で塾に向かっていた時に起きた。

歩いていた人は蹲った。私は自転車だから最初は気が付かなかった。しかし、正面を向いて驚いた。道が波打って向かってきたのだ。道路が波になって私に直撃した。私は自転車ごと飛ばされた。

震度5強と言われているが、とんでもない地震だった。これ以上の地震はないなと思った。

それがそれ以上の地震が来るとは。

悪い時はとことん悪い事が重なる。大地震だけでも大変なのに大津波が来た。しかも福島第一原発が爆発した。

もうね、広島に落ちた原子爆弾の1万倍の放射能とニュースで流れて、もう終わったと思った。死んだと思った。

400年前の伊達政宗の時代にも同規模の大津波が来ている。たった400年前なのにその事はタブー視されていたみたいだ。歴史好きの私が知らなかったのだ。

口を閉ざしていたのだろう。そんな事が知れたら、宮城県、福島県の浜通りの土地の価値が下がるだろうし。

東京電力も怠惰だった。全交流電源が津波で喪失した。これは怠慢だ。400年前にも同規模の津波が来ていたのだから。

それ以前にも大津波が来た。地震による地盤沈下と津波で松島が誕生した。

「松島や、ああ松島や、松島や」なんてくだらない俳句があるが、松島の誕生が大地震だなんて知らなかった。

東日本大震災で知ったが、大抵の神社は津波を免れている。昔の人は神社を死守する為に津波が来ない場所に神社を建立していた。そんな゜大事な事も忘れ去られていた。

今後30年以内に震度7の地震が来る確率は70~80%と言われているが、私は100%間違いなく来ると思っている。仙台にも東京にもだ。

関東大震災は強弱を繰り返して発生している。前回の関東大震災は弱だったのだ。次に来るのが強だ。東日本大震災並みの地震が東京にも来る。東京は埋立地だらけ。とんでもない被害が発生する筈だ。

東日本大震災時、浦安は地盤沈下したが、あんなもんではない。浦安が全滅してもおかしくない程の地盤沈下になる可能性がある。

油断してはいけないのだ。しかし、油断しない生き方をしていると鬱病になってしまう。今の私がそうだ。もう、どうしろとなんか 私には言えない。

人生、楽ありゃ苦もあるさ。苦と楽のメリハリを保って生きて行くのが一番良いのかな。

実は3月11日の今日、欝で大変苦しい。精神安定剤を今日、3度も飲んでフラフラしている。フラフラしている方が鬱の苦しさよりはマシだ。そんな感じで書いている。

それだけ地震が怖いのだ。地震が来るたびに神に祈る。収まりください、収まりくださいと真剣に声を出して祈る。

もう祈るしかない。それが地震なのだと思う。

それにしても不思議だ。私が追っている鬼渡神は地震、大津波、そして疱瘡、つまりコロナや放射能の神なのだ。生と死の境界線の神なのだ。私の人生、鬼渡神に沿って生きている様だ。

不思議だなぁー。分かんないな人生は。


ではでは。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分の墓をどうするか考えている。浄土宗のままで良いのか悩んでいる。その6

2022年03月11日 08時53分11秒 | 人生
続きます。

いわき市三和町永井の長徳寺、宝光寺はどちらも曹洞宗。申し分ない。

実は昨年、長徳寺の隣にある「いこいの学校 長居小」へ行って来た。真新しい2階建ての素朴な小学校なのだが、数年前に廃校になった。

それをボランティア団体が小さな道の駅的というか、地元のちょっとした買い物のスポット、カフェ、整体、そして地元民の憩いの場としてリニューアルした。

運営者たちは収入度外視で地元民に貢献している。素晴らしいと思った。だから私は福島県民が好きなのだ。

長居小の隣には長徳寺で経営していると思われる幼稚園。その隣に長徳寺がある。平地となっている。

このお寺の伝承では、田植えで忙しい時にどこからともなく童子が現れた。ニコニコしながら一生懸命に田植えを手伝ってくれた。暗くなったら何時の間にかいなくなった。

後日、長徳寺に村人が行って見たらお地蔵様が泥だらけになっていた。あの田植えを手伝ってくれていた童子はお地蔵様だった。私、こう言う話が大好きなのだ。このお寺は良いな。

一方の宝光寺は永井寺からも近い。山を切り崩して造った新しめの墓地である。見晴らしが良さそうだ。こちらも良いと思う。

しかしだ。地獄の沙汰も金次第なのだ。管理費は当然寺院運営に必要だ。100年分を先払いしても100年なんてあっと言う間に過ぎる。100万円渡して200年分払ったとしてもその後が心配だ。私の墓を破棄され建築物に再利用され、私の骨は合同葬の場に入れられる。そんな風になるのだろうなぁー。どうしたもんかなぁー。

こうなったら自分で墓を造ったらどうか。

私の家には福島県いわき市北好間の閼伽井嶽旧参道沿いに山林を持っている。約2200坪ある。ここに墓を建てれば良いのではないか。

調べましたよ、私は。

結果、不可との事でした。宗教法人、公益法人以外は墓地を造成してはいけないそうです。もし決行したら6カ月以下の懲役、若しくは1万円以上2万円以下の罰金となるそうです。

その程度の罪だったら受けてやる。2万円払っても良いし、懲役6カ月でも受けてやるぞ。っと思ったが、既に私は墓の中。捕まるのは私に協力した人だ。それは困るな。

更に調べてみたのだが、所有している山林に墓地や墓を造るのは可能だそうだ。しかし、遺骨は土に埋めては駄目なのだ。それなのに山林に散骨するのはOKらしい。何だこの法律は。

公益法人を作ったとしても私はもう死んでいる。公益法人を運営する者はいない。事実上、墓地経営は無理だ。

墓石はOKでも骨壺に入れて埋めるのは駄目。骨はその場に撒き散らす。そんなのは嫌だぞ。

多分、死体遺棄等々の問題で埋葬は禁止されているのだと思うが、山林に散骨はOKって矛盾しているではないか。どうしたら良いのか。

更に考えました、私は。そして見つけました。堂々と自分の山林に墓を造る方法を。

それは小さな小屋で良いので家を造るのです。その家の中にお骨を置くのは問題が無い。

それなら家の中に墓を造れば良いのではないか。20万円らしいが小さな石棺にお骨を入れ、その上に自然石でも良いので墓を置く。それを小屋の中に造る。

家は何れ風化し廃屋となるだろうが、私の墓は何れ表に出て来る。それなら何も罪を犯していないし、国も文句は言えない筈だ。

よし、最悪はその方向で考えよう。でも、私に協力者が現れるだろうか。家の中の墓に埋葬してくれる人を探すのは大変だぞ。どうしたもんか。

そうなったら仕方が無い。即身仏の様に自分で穴を掘って空間を造り、その中に入り中から蓋をして大量の睡眠薬を飲んて自殺するしかないのではないか。これも悩むなぁー。

それにしても折角2200坪の山林があるのに、自分の墓も造れないなんて本当に酷い国だな日本は。死ぬのにこんな心配と苦労をせねばならんとは呆れ果てたぞ日本国よ。


ではでは。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする