諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

高校時代、大喧嘩した相手が亡くなっていた。その2

2022年03月24日 13時02分40秒 | 人生
続きです。

宮司の友人とはファミレスで会いました。実は昨日も「お茶しないか」とメールがあったのですが、私、修林檀や二柱神社に参拝に行っていたので次の日となったのです。

私は開口一番「お前の神社は監視カメラが付いているか」と質問。「付いている」と友人。

それで友人の神社に参拝した時の経緯を話しました。もしかしたら「賽銭泥棒している現場を録画している。自首しろ」と言われるのではと思って。

友人は「お札は賽銭箱に落ちない。そのままにしていると狙われるんだよね」と発言。私の無罪は信じて貰えました。録画も見ていないそうです。

話は私の現状について。両親とも認知症等々でおかしくなり、母親は老人ホーム、父親は長期入院していると話しました。そして私も鬱状態にあると。

欝の話で友人の神社の神職が5名いたのに三人が辞めた。辞めた一人は鬱状態だったとのこと。

二人の神職は年齢的なものですが、神職で鬱になるとは驚き。そして私は聞きました。「もしかしたら、のび太君か」と。

その「のび太君(ルックスと雰囲気が似ている)」が鬱になった。真面目で性格の良い男だったのに残念だ。何か将来に不安を感じていたみたいです。

彼は35歳。でも一番下っ端。神職は小間使いみたいな仕事もします。一番下っ端だから、そればっかりしていたのでしょう。

それに35歳ですから人生設計をしなければならない。彼の実家は神社ではない。このままで終わって良いのか悩んでいた。

跡継ぎがいない神社は結構あります。だから何れ待っていれば「宮司をしてくれ」との声がかかるのですが、このスピリチュアルブームで神職を目指す女性が増えた。女性でも宮司となり親の神社を継ぐケースも増えた。それで宮司の求人??が減っているみたいです。

ちょっと誤解して貰いたくないのですが、宮司の募集は多くあります。ただ、大抵の神社は経営が困難。全国の8割近くの宮司が兼業宮司なのです。町役場に勤めながらとか、他に別の仕事をしているのです。

そう言う神社では流石に35歳では難しい。収入を得る為の仕事も探さなければならない。独身の場合は嫁の来手が無い。

悩みますよね。帰る神社が無い神職の方々は。まさか生活保護を受給して宮司をする訳にもいかないし。

新しく宮司として赴任してもその地域の人々に受け入れられるかも分からないし。

友人も急に仕事が大変になって、会う人会う人に「やつれたね」と言われたそうです。確かに大分やつれて老けていました。

今は娘も神職となって神職は三人体制となり、他の職員にも分業して仕事も減らしたみたいですが、神社は労務倒産する訳にもいかない。永遠に続かなくてはならない。

宮司には責任が伴う。宮司として生きる覚悟は中々大変だと思いましたね。


続く。


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高校時代、大喧嘩した相手が亡くなっていた。その1

2022年03月24日 02時00分21秒 | 人生
私も58歳。この歳になると同級生で亡くなる人も数名出ますよね。

私は小学4年生時代、尊敬するほど大人だった親友の加〇君を白血病で亡くしました。

中学1年生の時、前の席に座っていた草〇君が実父に木刀で撲殺されて亡くなっています。

高校時代、学校に黙って中型自動二輪免許を取ったのですが、同じく黙って取ってスズキGSX400Eに乗っていた西〇君はバイクで事故死しています。

長い人生??、こんな事もありますよね。

さて、私は中学・高校時代、劣等生でした。学年でビリから2番目になった事もあります。

中学から私立でエスカレーター的に大学に上がれる筈でしたが推薦入学の基準から外れ、受験して入りました。

良く受験で入学できたと思うでしょ。普通なら無理です。高下駄を履かせてもらったからのです。

3科目の試験で合計180点を取れば合格なのですが、100点下駄を履かせてもらってます。つまり3科目で80点取れは合格です。

これだったらね、劣等生の私だって合格しますよ。まっ、学校も金儲けって事ですね。

大学の試験もノート持ち込み可だったりしますので、私の入った大学なんて大学としての価値は無いと思います。私が文部大臣だったら、補助金なんて出しません。廃校にすべきだと思います。こんな大学、価値無いです。

さて先日、宮司をしている友人から連絡があり、「お茶するか」となりました。

うーん、友人から急に「お茶するか」と言われるなんて変だ。もしかしたらあの件を誤解しているのでは。

今年の1月の末、父親が緊急入院しました。アルツハイマー、パーキンソン
、精神病、認知症、誤嚥性肺炎、そして癌の疑いがある。食事が出来なく痩せ衰えた。死が迫っている。

「もう終わりだ」と父は泣き叫んでいるそうです。ミトンと言われる束縛着を付けて病院のベッドに縛られて。母の認知症が響いて一気に病気が大発生した感じです。

死が怖いのでしょう。父は本当に器が小さい小心者です。

弱いから子を虐める。弱い者を虐めないと心が保てない。だから私を虐め続けて来た。私だけをだ。小さい頃は暴力を振るわれた。人からは良い人ととの思われたい気持ちが強いが、私にだけは素を見せた。私の鬱病の原因は父の存在が大きい。

私は父が嫌いだ。人として劣等。生きる価値のない人間だと思っている。

それ以上に、この人には禍が寄ってくる。否、自分から連れてくる。そして私に禍をぶつける

私に親がいなかったら幸せに生きられた。自分の人生が残念でならない。施設に捨ててくれれば、どれだけ良かったが。そんな事を悔やんでばかりの人生です。私の人生は。

すみません、また愚痴って本題から外れてます。本題に戻ります。

私は父が嫌いですが、それでも親です。そして直ぐに死んでもらっては困る理由がある。それで友人の神社に参拝に行ったのです。「もう少し命を伸ばしてください」と願ってきたのです。

そう言う事で今回は特別な参拝です。だから境内社の社には800円程度の小銭をお賽銭箱に入れて祈願。本殿のお賽銭箱には1000円札を投入して祈願しました。

そしたら1000円札がお賽銭箱の穴に入らず、賽銭箱の柵の中の板に乗ったままの状態に。私は祈願を終え「まっ、しょうがないか」と思い帰ろうとしたのですが不安を感じた。私の祈願を神様に拒否されたのではないか。

友人の神社は本当にご利益があります。長年、金縛りやラップ音に苦しめられていたのに、お札を部屋に掲げただけでどちらも消えた。甥が死にばぐって生まれた時も無事に成長した。

私、神社にはお礼や自分の穢れ祓いを願いますが、友人の神社には私的な願いを願掛けします。それだけ絶対の信頼を寄せています。

でも今回は私の願いは拒否されたのではないか。だから1000円札が賽銭箱の穴に入らなかったのではないか。

そう思い賽銭箱の前に戻りました。何としても賽銭箱の穴に1000円札を入れようとして。

でも賽銭箱の木の柵があってお札に手が届かない。しょうがないので長財布を取り出し、柵の隙間に入れ何とか1000円札を賽銭箱の穴に入れました。良かった。

そこでふと思ったのです。友人の神社は賽銭泥棒に悩まされている。私のこの行動は賽銭泥棒に見えてしまう。

もしかしたら友人の神社には監視カメラが有るのでは。その私のシーンを見て、賽銭泥棒していると誤解されたのでは・・・・・。


続く。


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