諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

「瀬織津姫が祀られているのだろうな」っと想いながら、修林檀跡地と二柱神社を参拝して来た。その5

2022年03月22日 14時34分11秒 | 瀬織津姫
続きです。

次に紹介する境外社は高玉神社です。高玉稲荷神社とも言われています。

この高玉神社に付いては以前、「二柱神社と高玉神社。そして高玉伝説」と題してブログを書いていますので詳しくはそちらを読んでいただきたいのですが、この高玉神社には瀬織津姫の影が見え隠れしています。

高玉伝説のストーリーは怪談「番町皿屋敷」と殆ど同じです。

お金持ち屋敷主が大切にしていた10枚揃いの皿が割れていた。下女の「お玉」が割ったのだと濡れ衣を着せられ、「お玉」は刀で切り殺される。それで「お玉」の幽霊が夜な夜な現れ、「一枚、二枚・・・・一枚足りないぞ」と繰り返し恨み言を言う伝説となります。

濡れ衣は当然水が染み込んで重くなります。本来の罪より重く捉えられる。或いは無実なのに罪を着せられると言う意味です。

これは三途の川にいる奪衣婆・奪衣爺が死者の衣類を剥ぎ取り、その衣類を木の枝に掛けてそのしなり具合でその死者の罪を計る訳です。衣類が濡れていれば重くなり、罪も思いと判断される。ここから「濡れ衣」と言う言葉が誕生しています。

この奪衣婆ですが、「川上の瀬に座す瀬織津姫と言う神」がモデルなのは間違いないです。

宗教も商売的な部分がある。互いにけん制し合う。それが戦争に発展したりもします。

神道の根本の女神である瀬織津姫をオドオドロしい奪衣婆として仏教??側は語っていると言う事です。

衣類は一枚二枚と数える。皿も一枚二枚と数える。その共通点から高玉伝説や番町皿屋敷の怪談が生まれたと考えられます。或る意味、子孫に瀬織津姫と言う女神を伝える為です。

以上、長々と語ってまいりました。

仁和多利大権現の仏号??は「大悲十一面千手観音」であります。先に説明した修林檀跡地のサイディングの社の中には千手観音が祀ってあります。そして熊野では千手観音を熊野権現として祀っています。

以前にも「熊野の本地、五衰殿」と題してブログを書きましたが、熊野権現は瀬織津姫であります。

そして玉依姫にも瀬織津姫の性格が伺われますし、志波彦神と同神との説がある阿須波神と鬼渡神として対で祀られている波比岐神。アラハバキ神とされされていますが、私は瀬織津姫であると考えております。

そう言う事で「瀬織津姫が祀られている、祀られていた」と想いながら修林檀跡地と二柱神社を参拝してまいりました。

私の心の穢れを祓って貰いたくて。


ではでは。




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