諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

駒ヶ嶽國力の死にざま。 その2

2016年06月24日 02時32分29秒 | 人生

続きます。

餓鬼に打ち勝った私に殺気を向けた者。その者とは身長188センチ、体重135キロの巨漢、駒ヶ嶽國力と言う男・・・・・・・・・・・・・・・の馬鹿でかい石碑でありました。4メートル近い大きさです。草木に隠れていてこんなのがあったなんて知りませんでした。ここには何度も来ているのに。

不思議ですがその石碑から気が感じられたのです。明らかに駒ヶ嶽と言う男が宿っていると思える。私に対して何かを言いたげである。気になる。

でも石碑には長々と何が書いてあるのか良く判らず。気になったので帰ってからネットで調べて、「ああ、そう言う事か」と実感した次第です。

その実感を書く前に駒ヶ嶽國力なる男の経歴を説明します。

生まれは1880年。宮城県出身。1897年に角界入り。ライバル太刀山と共に次々と昇進を果たし大関へ。次は横綱に昇進し、地元の伝説の横綱・「谷風」を襲名すると思われていた。

しかし、後から大関になった太刀山が陣営に恵まれた事もあり先に横綱に昇進。段々と実力で太刀山と差が付き負けが込み酒に溺れる様になる。そして1914年急死。享年33歳と言う事です。

現在の相撲取りとしては標準的な体格ですけど、100年前は地元の伝説の横綱・谷風を彷彿させる大柄な力士で、豪快な相撲で高い人気があったそうです。

しかし、豪快と言う事は穴があると言う事。緻密な駆け引きを要求される横綱相撲には対応出来ず、段々とライバル太刀山との差が付いた模様です。

そしてそのストレスから暴飲暴食に走った。負ける度に酒に逃げた。一日六升も飲んだ。

六升と言うと1.8ℓ×6。つまり一日で日本酒を10.8ℓも飲んだと言う事でしょうか。そりゃ飲み過ぎです。糖尿病の私なら血糖値が大爆発して死にます。こんなに飲んでいたら体を壊して弱くなる。負け越しが続く。そりゃ当たり前ですね。

そして茨城県での巡業で居酒屋に入り、昼間からドブロクをしこたま飲んだ。気持ちよくなり太陽に当たりながら荷車の荷台で熟睡。死亡と相成ったそうです。

死因は驚くことに毒死です。何で毒死したか判りますか。私も驚いたのですが、駒ヶ嶽の胃の中のドブロクが太陽光で発酵し毒素に変化。それが全身に回り、腸穿孔、脳出血、心臓麻痺を併発したのが原因だそうです。

うーん、ドブロクが体の中で太陽光で発酵し毒素になるなんて知りませんでした。「昼間から酒を飲むな」とは、酒が毒になるから言われていたのでしょうか。

でも、どうなんでしょ。ぽっくり寺がある様に、苦しまずにポックリと死ぬのは良い事なのかも。否、33歳は流石に若過ぎる。しかも毒で死んだのだから苦しんで死んだのかも。まさかドブロク飲んで死ぬなんて思っても見なかったでしょうから、未練だったかも。否、否、好きな酒を飲んで死んだのだから納得しているのか。

否、納得してない筈。納得していたら駒ヶ嶽の石碑が私に殺気を放つ筈がない。これは私に対する警告なのでは。

実は正月から私、酒ばかり飲んでいました。夜、眠れなかったもので睡眠薬代わりに。ここ1ヶ月半で「そふと新光4ℓ」や業務スーパーで売っている菊川の芋焼酎「黒嘉門3.6ℓ」をピンクグレープジュースとイオンのサイダーで割って飲んだ。

更には菊川の「清酒・菊川4ℓ」でミルク甘酒を造り、ロックで飲んだ。更に更にはそのミルク甘酒にヨーグルトを入れフローズンアイスにして、シャリシャリ喰いまくっていた。それで体重が一気に4キロも太り89キロになった。そしてそして血糖値も205になったのではないか。

そう考えると駒ヶ嶽の石碑からの殺気は、「お前、酒の飲み過ぎだ。ワシの様になるんじゃないぞ」と、有り難くも忠告してくれたと思えてならないです。否、そうに違いないです。

そして四ヵ月後の現在。体重は85キロに戻り、血糖値も135となった。ちょっと半信半疑ではありましたが、あの殺気は私への警告と受け止め、食事と酒をセーブしていたのです。

今考えるとあの時の殺気は、殺気ではなく気遣ってくれた気だったと思います。私の体が悲鳴を上げているとを駒ヶ嶽関が心配して教えてくれたのだと思います。駒ヶ嶽関もまた神様なのでしょう。その忠告を肝に命じたいと思います。

でも、どうして西公園にこんな馬鹿でかい駒ヶ嶽の石碑があるのだろう。昔、この場所で相撲の巡業があったからか。

それとも桜岡大神宮との何か関連があるのか。石碑は鎮座している神社と同じ意味合いがある訳だし。

キーワードは「駒」だったりして。考え過ぎだと思いますけど。

 

ではでは。

 

 

 

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14 コメント

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どぶろくきましたね。 (りひと)
2016-06-24 09:21:30
なるほど身体に入って毒になるって今でも発がん性のある添加物が体内の物と作用してガンにもなるとかなり前にも指摘されていますね。また量もそう。

駒が警告出してくれたのならそれを活かしてみてくださいね。

ぽっくり寺あるんですね、私もある神社の小さな境内社が気になって聞いてみたらぽっくりいくお社とうかがった所ありますね。

駒という馬、馬というと竜、龍蛇神のイメージありますよ。怪力相撲と言ったらそんなイメージ。この前深川に坂上さんがお散歩していたのを見たばかり、あそこにもお相撲関連の大きい物あります。徳川さんはどんどん千葉寄りに移動しているのもふときになりました。蔵前、回向院、深川とお相撲関連も。綱吉さんに聞いてみたいです。

そうそう、横綱の綱も綱吉の綱も綱永井さんの綱も共通ですね。

綱は神との繋がりの証なのかな?とか今思ってきたところです。

警告は活かして綱を太く太くしていってくださいね。1623、江戸時代初期?なんでしょうね
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馬は太陽神。 (綱永井寵生)
2016-06-27 14:20:34
りひとさんへ

岩手の駒形神社で判ると思いますが、馬は太陽神の化身とされています。そして道祖神に繋がる。

西公園の神社も太陽神を祀っている。関連があるかは不明ですけど。

東北にはポックリと亡くなるための信仰が多いです。お寺でも神社でも。実際、塩分の取りすぎでポックリ逝く人が多い訳ですが、有り難いのかどうか・・・・・。

この世の中経済が中心で健康面でタブーな話が多いと思います。癌が増えたのにも原因があるはずです。
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太陽と塩 (りひと)
2016-06-28 12:42:08
猿田彦のイメージですね。

東北にはぽっくり多いんですね。これが塩分って凄い面白かったですし、ヒントにもなりました。父も東北だったので私も塩分多いですね、父が味が一番の家庭だったので。

冷蔵庫つい最近までなかったのですから塩も大事。ひもちってどう書くんだろう?日保ち!日と保かあ!
実は美保神社のみほでヒント得たんですが、穂じゃないんですよね?弥生が穂なら縄文は保?とか思い出していまして。

縄文は新鮮な物食べていましたが、保存食も作っていたようですよね。太陽で水分を取るか?もしくは塩で漬けるか?

なんとなく日と保は、太陽と塩の技術を縄文時代に伝えた可能性があるのでは?と。それにより様々に技術向上で長い間縄文は続くのかなあ?と。もちろん稲も薬的な利用はあったんじゃないかなあ?
探してみます。
穂を海藻(塩を取るために必要な)と稲と両方の意味を持っているように思い始めました。それをうまく区別していこうと思います。海の神と山の神は表裏一体になりそうです。
大麻になるんですね。

なんだか塩に取り憑かれているようです。塩竈さんの導きだといいですが。二見の見つけなくちゃ。夫婦岩って水の中だけど山だったら筑波山になるかなあ?5802
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無垢塩草 (りひと)
2016-06-28 13:10:10
私の宝箱に入っているのは分かっていましたがその箱は若干埋まりつつあり。
箱を開けると何だか左手が熱くなり探している位置が違うのに気付き左手下の下にありました。
用途が二つあり、一つは浴場に入れ、または身に付けて不浄祓いと。
もう一つが、シメ縄に付け門口の不浄を祓い、また田畑の畦に立て害虫の災いを防ぐのに用います。とあります。

きましたね、稲の成長の為、五穀豊穣の為の祓いにも塩草が大事だと。つまり弥生にもこのアイテムは大事だったはずですよね。

大昔にヒルコとうずめと混ざっていて会話したのを思い出します。祓いの48に塩草が関係しているかもしれませんね。害虫予防で。

塩竈さんのお塩と一緒に保管してみたいと思います。手の熱さはなくなりました。これを身に付けて6月末まで乗り切ろうと思います。

何年も眠っているものへのヒントを二度も頂きやっと辿りついたように思います。ありがとうございました。
そうだダイヤモンド富士の写真も何かに役立つと良いのですが。7945、お守りとして。太陽と塩の交流ですね。
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赤富士よりも・・・・・。 (綱永井寵生)
2016-07-02 13:09:33
りひとさんへ

以前、新聞社から表彰されて貰った赤富士の絵が幾つかあるのですが、色合いが暗くてどんよりとした雰囲気になり一枚しか飾っていません。

りひとさんから頂いたダイヤモンド富士の写真は机の真正面の壁に貼ってますが、一つの希望の光のような気がして気に入っています。写真を見てヤル気を出しています。

有難うございました。

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ジャガラモガラ。 (綱永井寵生)
2016-07-02 13:21:49
りひとさんへ

何時か行こうと思っているのですが、山形県の天童市にジャガラモガラと呼ばれる窪地が有ります。どうも昔は姥捨て山だったようです。

東北は寒冷地故貧しい。寝たきりになって家族に迷惑をかけるならポックリと亡くなった方が良いとの考えが強いです。私がそうなっても延命はするまいと考えています。

縄文時代は何でも煮て食べていたようです。勿論、塩が無ければ食べれたものではなかったと思います。塩は食に付随して信仰されていたと考えられますね。
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天童。 (りひと)
2016-07-03 09:14:30
親戚がいたようで連れて行かれたことある地です。窪、気になりますね。水も。
ダイヤモンド富士も頂点の光よりも湖面に移っている方が強く印象に残りました。昨日講演会で鏡の出た遺跡の紹介もありましたが、鏡も水を入れたんですよね。鏡と窪(かま)気になってきましたよ。
水と太陽で塩を生む。不思議な縁でお互いお礼として贈った物がクロスしていい結果を及ぼしてくれるといいですね。
何だかそこから昔どうしてもこだわってもいただけなかった御朱印や縁まで嬉しい事ばかりで、あたふたしています。落ち着かない時期がどんどんと延びてびっくりです。へび年の強運の再来はさる年にきました。けど正負の法則が怖い所です。

写真は、その場の感覚ですごい枚数でから迷うほどバッチリはないレベルで申し訳ないくらいの物。綱永井さんに大事にしてもらって富士山と太陽は喜んでくれているといいですね。今年は地震の後で富士山も雲の中、お参り後ポツポツ始まりそのあと豪雨でした。手が付けられないくらいでした。そんなんで貴重な一瞬の切り取りなのは確かです。

境界の神と塩草と茅の輪、気になってきますね。埴輪や土器と接点も気になってきたところです。3662
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じゃんがら (綱永井寵生)
2016-07-10 00:33:12
りひとさんへ

私の故郷である福島県のいわき市では、お盆になると「じゃんがら念仏踊り」の人たちが一軒一軒尋ねて来て、踊っていきます。この「じゃんがら」ですが、誰も意味が判らず踊っているのです。

そして山形県天童市の「じゃがらもがら」。窪地の底には穴がありそこからは冷風が吹き出ています。その為に普通の高山植物とは逆で底に高山植物が育っている不思議な現象となっています。

何か関係があると思っているのですが、もしかしたら死の世界との境界線が「じゃがらもがら」なのかも知れません。
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念仏踊り (りひと)
2016-07-14 09:44:21
うわあ、びっくり。
最近地震等で調べた地に念仏踊り出てくるんですよね。穴と不思議なことば。
植物の植生も穴の中と外でちがうって知っていたからこそ、不思議な事で踊る。何かの文化継承なのでしょうね。そこから土生ツチオウが出てきたら神だと思うでしょうし、主だと思うでしょうね。蛇さんもびっくりしそう。

何か感謝から信仰がきていそうで、微笑ましい、そして人間も踊ることでの一体感。自然の流れですね。

外国は擬態語や擬音語があまりないようですよ、日本はその時の状況を音にしたのでは?言葉はない時代の風習だと面白いですね。

天童途中で止まっています、福島もですか、郡山って地震で調べたらすごい所ですよね。猪苗代湖かなり気になっています。二峰の山ないですかね?
そうそう談山神社の後ろも二峰なんですよ、それぞれ信仰もあるようです。
そうそう日光の地震の揺れた場所も北の福島でもゆれたようです。福島県の檜枝岐村、ここもかなり色々残っていますよね。今本当福島にはまっている所でした。8215 また調べてみます。
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二股の山。 (綱永井寵生)
2016-07-20 20:19:34
りひとさんへ

以前にも話したかも知れませんが、二股の山は手長足長である磐梯明神を祀る会津磐梯山です。大噴火で二股ではなくなりましたが。

そして永井平九郎を祀る御鍋神社の山である二岐山。ダイダラボッチの伝説があります。

どちらも巨人伝説で共通します。
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