諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

失神するのは、命よりも心が大事と言う証明だと思う。

2023年02月10日 17時37分58秒 | 鬱病
昔の羊飼いは、群れの中に或る種の山羊を一匹混ぜていたそうです。

その理由は山羊は羊よりもショックに弱いから。狼に襲われた時、直ぐにショックで失神する。当然、狼に食べられる。その食べられている間に羊たちは逃げて命が助かると言う塩梅です。

何故、山羊はショックで失神するのか。

その理由は「自分が犠牲になり、仲間を逃がすため」だと言われてます。そう言う遺伝子が備わっているからだそうです。

私、その説には異議を唱えます。

羊だって山羊だって猿だって犬だって、そして人間だってそうですが、仲間内で順位を付けたがります。自分が優位に付きたい。それは多くの生物に備わっている本能であり、遺伝子だと考えます。

仲間同士で敵対している部分があるのに、何故に仲間を助ける為に自分が犠牲になるのか。流石にその説は全面的には信用できません。

だったら何故、ショックを受けたり危険が迫ったりすると失神してしまうのか。

私、注射恐怖症で3度失神した事があります。脚立から落ちて床にぶつかる瞬間に失神したこともあります。トラックに轢かれてトラックの下になった事もありますが、当然、失神しています。

私の失神は仲間を助ける為に生じたものではない。だったら何故、失神したのか。

失神は心のシャットダウンです。つまり心をショックや恐怖から守る為に失神したと言えます。

それで思うのですよ。人間に限らず生物は自分の命よりも心が大切なのだと。

私は自殺肯定者です。生きるのが辛くてしょうがないのであれば、自殺も止む無しだと考えています。

以前、無料のセミナーで僧侶が「自殺はすべきではない。貴方の命はご先祖様が繋いできたものだから」などと言ってましたが、私、無性に腹が立ちました。

その先祖や親のせいで自分が苦しむケースもある。誰も簡単に自殺なんかしていない。苦しんで苦しんで心が破裂しそうになっている。心を守りたいから自殺するのではないか。そう僧侶に喰ってかかりたくなりました。

私だって自殺はすべきではないと思っていますが、心を守る為には仕方がない。自殺してでも心は守る。命よりも心が大事だ。そう思っています。

私は心を守る為に睡眠薬や抗うつ剤を飲んでいます。薬が身体に悪いのは解っています。依存性があるのも知っています。

それでも心の破裂を防ぐには薬しかない。

或いは世間から消える。今までの荷物を捨てる。心の破裂前に自殺を選ぶよりは、今までのものを捨てる。記憶であっても捨てるべきだと思います。

鬱病なもので自分でも支離滅裂になっているのは分かりますが、今のところ私はそう考えております。


ではでは。




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Unknown (nichikon2)
2023-02-10 18:30:05
時間には魔物が住んでいると俺は思ってます。
工場の組立ラインでクルマの部品を組立てていて、時間が過ぎるのが遅く感じて苦痛のあまり大企業の契約社員でしたがやめてしまったことがあります。
10分が1時間に感じるのです。

逆に眠っている時は時間がアッという間に経ってしまう。8時間が2時間くらいに感じるのです。

本当に時間とは無情で気まぐれなもので、魔物が住んでいると思うのです。

それならば死に至るような苦痛、絶命の瞬間は時間が永久に止まってしまったかのように感じるのかもしれません。

これぞまさに地獄というべきものではないでしょうか?

老衰で眠るように亡くなる、まだまだ若いのにポックリ突然死。
どちらも苦痛はないと思われます。

俺としては自殺は極力避けたいところです。
死の瞬間の苦痛が永遠に続くかもしれないと思うと自殺を躊躇います。
返信する
新聞配達。 (綱永井寵生)
2023-02-10 22:47:13
nichikon2さんへ

私も日通でチョコレートの箱詰め作業のバイトをしたことがあります。確かに時間の経過が遅く感じました。

パートさんは私よりも数倍のスピードで仕事を熟している。レールに乗って流れてくるので、時間との競争で作業していましたが、私のところで停滞する。精神的に相当疲れました。

家業は新聞販売業でしたが、新聞配達は達成感があり楽しかったです。「終わった」と言う実感があるから続けられる。自分のペースで仕事が出来るのは一番大切だと思いました。

私は鼻の軟骨切除手術で全身麻酔を経験しましたが、意識が消える瞬間を良く覚えています。これが死なのではないかと思いました。それならそれで死は怖いものではないなとも思いました。

ただ、「幽霊との対峙」と題してブログを書きましたが、神を感じたくて仙台の〇照宮へ丑三つ時に参拝。その石段で幽霊に出くわしました。

その幽霊は私を快くは思っていなかったとは思いますが、意識も考えもなく呆然と立っている感じでした。

私は人間なのか幽霊なのか分からず、1分程度??
2メートルの距離で対峙しました。喧嘩する訳にもいかず、一旦後ろを向いでワッと声を出して振り向きましたが、幽霊は消えてました。これで私は幽霊の存在を実感しました。

私の母親は認知症になっていますが、幽霊もそれに近い存在なのではないかと考えます。自分が何者なのか分からず、死んでいるのも分からずに彷徨っている。それには強い恐怖を覚えます。

死の瞬間の苦痛が永遠に続くとは考えたことがありませんが、そう思うと本当に恐ろしいですね。

私の従兄弟は二人の自殺者が出た現場で小型クレーン車を操作し転倒して亡くなりましたが、その痛み・苦しみを味わう前に亡くなったと信じたいです。

そうじや無いと従兄弟が浮かばれません。

臨床心理士は私に「事故死は半分自殺だ」と言いました。

実は従兄弟は死ぬ前に多くの人に会いに行ってます。祖父も列車での事故で片足を切断。違う血液を輸血されて亡くなりましたが、自殺の可能性は否定できません。

死の瞬間が永遠に続くのは二人の事を考えると辛いです。
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