諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

金華山黄金山神社に拒まれた私。 その5

2014年07月18日 00時22分15秒 | 神道

しつこく続きます。

当時の私は太っているとは言え、新聞配達で鍛えてましたからね。割と健脚だったんです。しかも下りの坂道。鹿なんかには負けられません。鬼の形相で走ります。振り向くと鹿は四匹に減っていました。親玉はいます。

私は鹿の追撃を受けながらも何とか船着場のお土産屋に到着。さっと中に入りました。流石に鹿は入ってこず。苦虫潰した顔してましたわ、親玉は。

それにしても鹿ってニンニクが好きなのでしょうか。多分、鹿煎餅と間違えて追ってきたと思うがどうなんでしょ。

記紀には白鹿に化けた山神、もしくは坂の神が蒜で打ちのめされたと言う記述があります。蒜って野蒜の事でしょうけど野蒜はユリ科。ニンニクと同じ仲間です。だったら鹿もニンニクが嫌いなのでは。

それに鹿の肉はニンニクバター醤油で食べると美味しいそうなので、鹿がニンニクが好きな訳がない(いい加減)。うーん、分からん。

それよりも金華山のお土産屋でニンニクスライスが売っている方が分からんです。何を考えているんだろ。

ではでは。


で、20代の時分の私はこの話にピリオドを打つでしょうが、今の私は違います。色々思い当たる点があるのです。それをチョット語ります。

まず、なぜ金華山に弁才天が祀られているのか。牡鹿半島もそうですが、昔はチョット海岸に金が落ちていたみたいです。だから金山彦神・金山姫神が祀られている。両神は弁才天。先ずはそれが一つ。

そして牡鹿半島の鮎川町は捕鯨の街。多分、古来から。何故なら鯨塚があるんです。そして鯨塚に祀られているのも弁才天。鯨漁師の守り神も弁才天。元々、其れほど金は取れなかったみたいなので、鯨への信仰から弁才天が金華山に祀られた可能性もあると思います。


次はスズメバチです。何で黄金山神社関係者はスズメバチを駆除しなかったのか。

私の記憶が正しければ埼玉県秩父市に鎮座する聖神社には金山彦神が主祭神として祀られている。そして同神社の御神体は和銅製のムカデ。秩父は銅の産地。ムカデは赤銅色。つまり銅を意味する。ムカデが眷属となる。

秩父平氏の祖は坂東平氏。平将門とも縁は深い。だったら俵藤太が退治した大ムカデは平将門と考えられる。平将門も大ムカデも額を射られて死んだし・・・・・と書いちゃうとまた寄り道をしてしまうのでこの辺にしますが、銅がムカデなら金は何なのでしょう。

金山彦神は鉱物神。銅の神でもあるが金の神でもある。だから金華山黄金山に祀られている。金の生物もいるのでは・・・・・。

っと言ってもゴールドの生物は流石に日本には居ませんが、黄色系ならいます。代表的なのは狐と貂でしょうか。私、野生の貂を宮城県の愛子で見た事がありますが、あれは鮮やかな黄色でした。金のイメージでした。

しかし、狐も貂もイヅナ系。つまりお稲荷さん系です。「稲荷」は「鋳成り」。鉄の鍬があってこその稲作。お稲荷さんは稲の神であり鉄の神。

黄金色の稲とも例えられるが流石に金の神とは言えない。だから狐=金ではない。

ここで皆さんもピーンと来たでしょうか。スズメバチは黄色。ミツバチよりも鮮やかな黄色です。もしかしたらスズメバチは金バージョンの金山彦神の眷属ではないでしようか。


続く。




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金華山黄金山神社に拒まれた私。 その4

2014年07月16日 08時57分52秒 | 神道

くだらない話で寄り道してしまいましたが、続きます。

3連続参拝の最後の参拝です。天気も良かった。参拝日和です。そりゃーもう丁重に参拝しましたよ。清々しい気持ちで。

そして充実感。金運招来の集大成ですからね。「やったー」ってなもんです。マラソンで走りきったような達成感もあります。満ち足りた気分で参拝を終えました。

参拝の帰り、スズメバチから避難するために入った中腹のお土産屋に入りました。私は観光地のお土産にはロクなものが無いと思い込んでいるもんですから土産を買うという風習はないのですが、3年連続参拝達成の記念に何か買い求めようと思ったんです。

そして土産屋の中に。前回、木彫りのご飯ヘラなんか買っちゃいましたが、あれはひどかった。小学生が工作で作ったような出来でした。

避難させて貰って麦茶を出してくれたお礼に買ったもんですから、余り吟味せず買ってしまったんです。

私は本来、熟考に熟考を重ねて何も買わずに帰る商売人泣かせの困った質なんですが、人情には至極弱い。人情で買った商品に当たり無し。それでちょっと後悔していたんです。600円で買ったものですけどね。

そこで今回は必ず吟味して買おうと思いました。そして店を徘徊。うーん、何も欲しいモノがないです。

こりゃ参った。しょうがない、100円の鹿煎餅でも買って鹿にくれながら帰るとするかと思った瞬間、金華山のお土産屋に不釣り合いなものが売ってました。乾燥させたニンニクのスライスです。

500グラムだったか1キロだったか忘れましたが、かなり大量に入ってました。価格は一袋600円。これは安い。

カリカリに焼いてステーキに乗せるも良し。スパゲティーに入れるも良し。これは良しです。パブロフの犬みたいにユダレが出そうです。これは買いです。「買います、買います、ハアハアハアハア」と言う勢いで買いました。買い満足感タップリです。良い買い物をしたと思いました。

しかしその光景を妖しく見つめる奴らがいたとは・・・・・・。

私はお土産屋を後にして船着場を目指そうとしたその瞬間、背中に衝撃が走った。私は数メートル飛ばされました。「何だ、どうしたんだ」と振り向いたら奴らがいました。子分を従えた大きなアイツがいたのです。そう、そのアイツとは金華山の神の使いである鹿です。鹿の親玉です。

私は「この野郎、何するんだ」と思い鹿たちを睨みました。

すると鹿の親玉は「そいつを寄こせ」と私に話しかけてきました。テレパシーで。

私は「馬鹿だなぁー、馬と鹿で馬鹿だから仕方ないか。もうやったろか。いやいや、こいつら、これでも神の使いだ。暴力は駄目だ暴力は・・・・」と思いとどまりました。

鹿の親玉は「人間のくせに鹿煎餅を食うのか。情けない奴だ」とテレパシーで話しかけます。

私も「これは鹿煎餅では無い。乾燥したニンニクのスライスだ。お前たちには刺激が強する。食えたもんじゃないぞ」とテレパシーで返答。

そして何事も無かったように立ち去ろうとしたら、また背中に衝撃を受けて私は飛ばされました。前回よりも強い力で。

この鹿の親玉、私の背中に頭突きを食らわして来たんです。当時の私の体重は確か86キロ。今は87キロ。その私の体を簡単に宙に浮かせます。凄い力です。

鹿の角は毎年角切りの行事があり切り取られていましたが、これは結構危険です。背筋力230キロの私だからこそこの程度で済んでいるのです。お年寄りや子供でしたら本当に危険だと思いましたね。

私は「判らねぇー奴らだだなぁー」と目で威嚇。そして襲いかかる素振りをして鹿たちをひるませた瞬間、身を翻し走って逃げ出しました。

鹿たちは総勢7~8匹。全員が私を追いかけます。「鹿煎餅置いてけぇー」とテレパシーで発しながら。

其の光景を目撃していた男性の参拝客が「その荷物を離せぇー」と叫びます。

私は離しません。例えこの身がどうなろうと。

するとまたまた鹿の頭突きが背中に炸裂。走っているから痛みは大した事ないですが、参拝客からは悲鳴が上がります。「キャー危ない~、早く逃げろぉー、追いつかれるぞぉー、わぁー」等々の声がです。


続く。









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金華山黄金山神社に拒まれた私。 その3

2014年07月15日 10時49分30秒 | 神道

続きます。

それでも金華山黄金山神社3年連続参拝は諦めない。私の一生の金運はこれにかかっている。諦める訳が無い。

「スズメバチの寿命は女王蜂以外は2ヶ月と言うし、寒くなったら消えるのは分かっている」と考え、その年の12月に再度参拝。これで2年連続参拝は達成です。

そして次の年。確か5月頃にホンダFTR250と言う欠陥バイクで金華山を目指します。

このFTR250は定価の半額で新車を買ったんですが、エンジンからタペットがけたたましく鳴り響くとんでもないバイクでした。

競技も出切る本格的なフラットトラックバイクでハンドルがとんでもなく広いのですが、腕の短い私が乗るとメーター類と私の顔の距離が近い。だから急ブレーキでもしようものなら、メーター類に顔面強打となる恐ろしいバイクです。

更にとんでもなくエンジンの掛かりが悪い。エンジンが温まると何故か再始動は無理。冷えるまで待たないと再始動は無理と言う気難しさ。こんなバイクありえませんよ。

その後、さっさと売り飛ばしましたが何故かフラットバイクブームが起こり、中古車が50万円近い値段で売られるようになるとは夢にも思いませんでした。もう何から何まで期待を裏切るバイクだしたわ。チクショー、馬鹿ホンダめが。

まっ、それはどうでもいいですね。金華山の話に戻ります。

私は前日、鮎川町の民宿に泊まりました。鮎川は捕鯨の町。ここに来ると今でも調査捕鯨で取れた鯨の肉が食べられます。

鯨の肉と言うと小学校の給食で鯨の大和煮がよく出たもんでしたが、たまに食べたくなりますね。

これはあまり知られていないと思いますが、鯨の食べる魚の量は地球上の人間が食べる量を遥かに越すと言われてます。鯨が増えすぎたため魚の漁獲量が減っているとされています。

シャチがいるので鯨は海の食物連鎖の頂点ではないでしょうけど、鯨が可哀想だからといって鯨を取らないのも考えものです。世界の魚が枯渇してしまいます。

日本の捕鯨は恵比寿信仰と弁才天信仰が深く結びついています。昔、鯨は神であり、神が鯨になって肉をプレゼントしに来てくれたと考えられていました。そして有り難く食して来たのです。アメリカが鯨油だけを目的に捕鯨してきたのとは訳が違います。

アメリカはもう鯨油は必要ないから捕鯨はしなくなったのでしょうが、日本はそうはいかない。いや、世界の海洋資源を考えても捕鯨はある程度は続けた方か良い筈なのです・・・・・・・なんて事言っちゃいましたが、またまた脱線しちゃいました。民宿でチョットだけ鯨の肉が出て、これが美味しかったのでこんなこと書いちゃいました。失礼しました。

それにしても牡鹿半島の民宿はハズレ無しです。勿論、建物は大したことは無いですが食事が凄い。超豪華です。

当時は一泊5000円。最近までは6500円程度でしたが、3.11の大津波でほぼ全滅したのは悔やまれますね。ホント、いい宿ばかりでしたのに。

さて宿を後にして鮎川港へ。汽船で金華山を目指します。実は金華山の海流は滅茶苦茶激しいのです。

関アジ・関サバが美味いと言われていますが、そこよりも海流が激しい。金華山で漁れるサバは金華サバと呼ばれていますが、関サバよりも美味しいとされています。残念ながら関サバよりも高いですけど。

それ程の海流ですので、金華山行きのフェリーは何度も沈没しています。ちょっと緊張感があります。

この場所でバスプロたちが小さなバスボートやアルミボートでロックフィッシングしているのを見かけますが、命知らずにも程があります。あれは危ないです。

宮城県でブラックバスを釣り上げると必ず殺さなければなりません。法律でそうなったのです。殺さなければ法律で処罰されます。だからバスプロたちは海のアイナメ、ソイ、タケノコメバル、スズキ、ヒラメをバスボートで狙いだしたのですが、本当に金華山周辺は危険極まりないです。

金華山は恐山、出羽三山と並ぶ東北三大霊場です。その周りで遊びの釣りをするのはいかがなものかと思っていたら今回の震災です。牡鹿半島には1000人を越す遺体が打ちあげられています。何かしらの神罰なのではと考えたりしますが、どんなもんでしょうね。難し過ぎますね。


続く。

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金華山黄金山神社に拒まれた私。 その2

2014年07月14日 07時56分00秒 | 神道

続きです。

私はこれまで7回ほど金華山へ参拝に行ってますが、その当時は3年連続での参拝はまだでした。3年連続での参拝で金運面での安泰が約束されているです。これは3年連続で行かねばなりません。

当時の私は24歳。証券会社を辞めて家業である新聞販売業を手伝っておりました。私は「こんな馬鹿馬鹿しい商売、やってらんに」と思っていました。体を動かしてコツコツ働くなんて能無しのすることだと思っていたのです。

新聞販売業に付く人間は問題のある奴が多いのです。そして当時はバブル初期。簡単に就職出来た時代です。今では考えられない程の高給を払い、ペコペコ、ちやほやしながら働いてもらっていたのです。そうしないと簡単に辞められましたからね。

何せ夏場に6人いる従業員が冬には2人に減る商売です。毎年そうです。毎年毎年労務倒産寸前まで追い込まれます。従業員もそこを付込んで来ます。「俺が辞めたらこんな店潰れるぞ」とまで言われました。従業員にです。

ボーナスを出した翌日に辞めていくのが当たり前の業界です。そして刑務所帰りも多い。そんな人間をなだめながら働かせるのです。明るく振る舞いながら。

その反動は私に来ました。私の両親は世間的には素晴らしい好人物と見られてます。でも好人物を演じているだけです。商売時のストレスは半端ではなく、私に当たって自分たちのストレスを発散させて来たんです。

そんな私ですから人間嫌いになるってもんですよ。まっ、それが社会に受け入れられず、一人で生きる宿命になったのかも知れんです。それだけが原因ではないでしょうけどね。

またまた話が飛んじゃいました。黄金山神社参拝に戻します。

私はそんな訳で家業のように人を使い、コツコツ体を動かして働く事だけはしたくないと思いました。当時は株で簡単に何百万円も稼げた時代です。私が勤めていた証券会社の証券外務員の給料は手取りで毎月800万円以上でした。中堅の証券会社でこれですから、大手だったら全然桁違いの手取りです。何もかも簡単だったのです。

私も簡単に金を稼いでやる。頭で稼ぐのだとの思いが湧いてきました。金華山に3年連続で参拝すれば一生安泰。だったら行くべし・・・・と思い、3年連続参拝を決行したのです。

それはその2年目の参拝の話。確か平日でした。季節は夏。いや9月でしたか。結構暑い日でした。
私は当時乗っていた「いすゞ・アスカターボ」で金華山を目指します。鮎川について汽船に乗り金華山へ。
金華山の船着場について(言い忘れていましたが、金華山って島ですからね)、すぐ前の食堂兼お土産屋を通り、急な坂道を登ります。

そして神社の宿泊所がある場所に着いてビックリです。何とスズメバチがビュンビュン飛んでいたんです。物凄い数です。手前で飛んでいるスズメバチだけで数千匹はいます。零戦のように威嚇しながら飛んでいるんです。でかい奴が。

あの大きさはオオスズメバチの筈です。体長4センチはありましたから。それが物凄い勢いで飛んでいるのです。私はすぐさま中腹の土産物屋に避難しました。

このスズメバチですから、お土産屋は参拝客の避難所と化していました。勿論、戸を締め切ってです。皆さん「どうしたもんかなぁー」と言う表情で外を見つめていました。

土産物屋の前はちょっとした広場になっており、参拝客の鹿せんべい目当てに鹿が集まっているのですが、この鹿たちも気の毒なことにスズメバチに刺されまくりでエライ目に合ってました。体中が蜂に刺されて爛れ、中には橙色の半透明の肉が見えている鹿もいます。とんでもない状態です。鹿が可哀想です。

私は「神社関係者は何やってんだ。何故、駆除しないのだ。参拝客や鹿のことどう思っているのだ。怠慢にも程があるぞ」と怒りが湧いて来ました。参拝客の多くがそう思い口々に「神社の人たちは何やっているのかねぇー」と口走っていました。

お土産屋の店員さんは「済みませんねぇー」と言いながらペコペコ頭を下げ、冷たい麦茶を振舞ってくれます。お土産屋さんは何も悪い事はありません。悪いのは怠慢な神社関係者です。折角海を渡ってここまで来たのに、これじゃ参拝は無理です。帽子も被ってなかったし半袖でしたし。出て行ったら命の危険だってあります。

私はアシナガバチやミツバチに刺されたことがあります。その痛みは大変なものでした。しかも今度の相手はオオスズメバチです。刺された痛みは見当も付きません。ミツバチの何倍も痛いはずです。これはもう降参です。

私は冷たい麦茶のお礼に木彫りのご飯ヘラ(金600円)を買い金華山を後にしました。参拝をせずに。無念でした。


つづく。








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金華山黄金山神社に拒まれた私。 その1

2014年07月13日 11時36分09秒 | 神道

「3年続けて参拝すれば、お金に悩む事はない」。これ宮城県牡鹿半島先端に鎮座する島・金華山黄金山神社の有名なフレーズです。

正直に言います。これ私には当て嵌りませんでした。

私も三年間通って参拝しました。新聞販売時代、参道の石の柵に7000円出して店の名前を彫って貰いましたが、店は残念ながら廃業と相成りました。

私の店だけではありません。バブル期に徳陽シティ銀行がありました。地元の第二地銀です。この徳陽シティ銀行の全支店名も黄金山神社の参道の白い大理石??の柵に彫られていましたが、バブル崩壊とともに徳陽シティ銀行は経営破綻。倒産した銀行の支店名が延々と連なっているは石の柵は、まるで墓標の様です。黄金山神社側も「しまった」と思っているのではないでしょうか。

私も悲しくて自分の家の店の名前を探す気にもなりません。嫌な思い出ばかりですので。でも、これでいいと思うんですよ。黄金山神社に祀られている弁財天は本来は弁才天なのだから。

弁才天は財運の神では御座いません。戦いと呪いの神です。祟って殺す神、つまり死を司る神です。それは六臂に握られた武器が証明してます。弁才天の本当の姿は六本腕、もしくは八本腕と言う事です。

六本腕等で剣や弓、斧なんか持っている訳ですから財運の神のはずはありません。「それじゃマズイ、平和な時代に対応出来ん」と思って平安時代初期の神職関係者??は、恐れ多くも弁才天様の腕を六~八本から人間同様二本に落とし、美しい半裸のお姿で琵琶を奏でている弁財天に変えてしまったんです。財運の利益も後から考えられたものだと推測します。

そんなことも知らずに弁財天のご利益にあずかろうとしても駄目だと思います。戦勝祈願ならOKだと思いますけど。

っとは言いましても黄金山神社には、アラハバキ神であり金属神でもある金山彦命・金山姫命が祀られています。そして両神の仏号は弁才天。つまり弁才天は金(ゴールド)の神となりますから財運と連想しちゃいますよね。

私もその点を突かれるとシドロモドロになっちゃうのですが、極端な話、大和朝廷は蝦夷から金を奪う為に侵略したのです。それでアラハバキ神である金山彦神・金山姫神、つまり弁才天に金運を願うのは罪悪感があります。複雑な私なのです。

そんな訳で参道の柵に彫られた店名の件は、それはそれで納得しています。潰れて当然とは言いませんが、これで良いのだと思っています。

何故、そんな風に思うのかって。

よくぞ聞いて下さいました。実は私、黄金山神社に参拝を拒まれた事があったんです。それだけでは無く、攻撃された事もあります。

何でそんな目にあったのか。

今回はその出来事を自分なりに解説して行きたいと思います。勿論、これは私の思い込みの話なんですが・・・・・・・・・・。


つづく。




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