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一昨日、息子が突然帰って来て一晩泊まり昨日の昼すぎに帰って行きました・・・
私の考えを述べると、抵抗があるようで・・・中々、意見を述べることはできませんが、
彼は彼なりに、懸命にもがいている様子・・・
兎に角、一度っきりの人生ですから、前へ前へと歩みを止めないで、もがき続けてほしいものです。
人は社会に出て行くときには、誰でも将来に夢を抱いて旅立ちます・・・
でも、自分が描いていた夢への道なりに、すんなりと進める人は・・・ほんの一握りだと思います。
殆どの人が、
その夢と違う方向へと進んだ中で、己の天職を見つけられる人もいるわけで・・・
あながち人生って捨てたものじゃないんですよね。
私なんぞも、この年まで、試行錯誤しながら未だに夢にもしがみつきながら、もがき続けているわけです。
出来得るならば、生涯現役で自分探しを続けていけたら最高なんですが・・・
この思いを胸に、今後ももがき続けたいと思っています。
今朝は、旭化成社長の浅野敏雄さんのお話を取り上げてみようと思います。
~以下、7月20日読売新聞朝刊より抜粋~
![七転八起のロゴ](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/5c/916167a522c632d44a63cd7441d8964a.jpg)
<再現実験に失敗>
30歳前後で医薬品の研究開発に関わっていた頃、動物実験などから血圧を下げるのに効果がある成分を見つけ、「これは薬になる」と直感した。まだ会社には大型新薬がない。本格的な開発に向け、社内の期待も膨らんでいました。70~80人規模で様々な再現実験を行う段階に移ったが、他の人が実験すると、出るはずの効果が出ない。小さな実験で成功したのだから、規模が大きくても成功するだろうとたかをくくっていた。理論先行で、様々な角度からの検証を怠った慢心が招いた結果でした。
![旭化成社長浅野敏雄さんの経歴](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/a7/d1737cf4a4be3057896a171720ca6f26.jpg)
医薬品開発の現場で 約35年前 ▼
旭化成社長
浅野 敏雄 62
新薬開発 急がば回れ
約半年間かけても効果が証明できず、研究は打ち切り。会社に損害を与えた責任を感じ、胃の調子が悪くなって病院に通いました。でも、社内では失敗をとがめる人は誰もいなかった。「これを糧にして、次は何をするんだ」。上司の言葉が忘れられません。
<臨床試験を中断>
旭化成に入社したのは、石油化学の仕事をしたかったからです。でかい煙突のある工場で、ヘルメットをかぶって働きたかった。だが、石油化学の仕事は最初だけ。医薬品開発の道を長く歩いてきました。![約35年前の浅野敏雄さん](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/58/13c191218bcdb0faa662440c1ac81635.jpg)
転機は入社2年目、宮崎県延岡市の工場に転勤したときです。移動理由は「薬学部出身で、独身で若いのはお前だけ」。上司には「何をするのか、俺も分からない」と言われた。行った先は、新設されたばかりの創薬部門で、私以外は中途入社の上司ら、わずか4人体制でした。
医薬部品の責任者だったとき、最終段階に入っていた臨床試験を途中で止めたこともありました。
夜中に職場で仕事をしていると、動物実験の担当者から電話が入った。それまでの臨床試験は全く問題がなかったにもかかわらず、毒性をうかがわせる現象が出たという。毒性の可能性を示すデータがわずかでも出た以上、中断せざるを得ない。翌朝、会社に報告すると、社内は大騒ぎです。
その後、さまざまな方面に意見を聞いて回ると、多くの人に「止めなくてよかったのに」と言われた。
確かに、病気に苦しむ患者さんに一刻も早く治療薬を提供することが我々の仕事です。そう考えると、正しい決断だたのだろうか――。何度も悩みました。それでもやはり、患者さんの安全が第一です。
<挑戦は会社の活力>
結局、薬は追加実験を積み重ねて安全性が確認されて世に出ました。中断した影響で5年以上遅れた。正直に言えば、あの時の判断が正しかったのかどうか、今も悩んでいます。事前にしっかりと準備を進めていれば、時間を無駄にすることはなかったはずだとも思っています。創薬は大小様々な失敗の連続です。私が得た教訓は「急がば回れ」。社員には「失敗してもひるむな」と声をかけています。挑戦は会社の活力になるはずです。そうは言っても、経営者の立場としては早く成果を出してもらいたいですがね。
(聞き手・浅子崇)