ヌマンタの書斎

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中田英寿の引退

2006-07-06 15:46:00 | スポーツ
3日の夜に自らのHPに引退を発表した中田英ですが、彼らしい引退の仕方だと思います。少し残念な気もしますが、ブラジルとの試合後の姿から、何か期するものがあったのだとうと憶測できましたから、それほどの驚きはありません。

彼がJリーグに登場したのは14年ほど前ですが、そのプレーぶりは、凄くスマートな印象がありました。当時ベルマーレ平塚は、ベッチィーニョというブラジル人MFがチームを仕切っていましたが、中田は臆することなくピッチを駆け回り、鋭くゴールを狙っていた姿が記憶に残っています。

されど、最大の驚きは日本代表での韓国戦でした。韓国の選手の激しい当たりに動じない日本人選手を見たのは初めてです。ボディバランスが抜群に良かった。なにより、インフロントでのキックが正確で、基本的なプレーがこれほど逞しく見える日本人選手は彼が初めてでしょう。

フランス大会、日韓大会、そしてドイツ大会と12年以上にわたり、日本代表の中核を担ってきましたが、彼が一番幸福だったのは、フランス大会の予選だった気がします。当時のチームには、名波という中田も認める名選手が居て、中田は彼のもとで自由にプレーできた。山口素弘というクレバーなボランチが、攻撃に上がりがちの中田の穴を埋めてくれた。中田がもっとも自由にプレー出来た時代だと思います。

ただ、フランス大会はアマチュアを監督に据えた為、中田中心のチームにされてしまい、そこで彼の未熟さが出た。中田の理想を実現できる力量は、当時の日本代表にはなかったが、彼は自分の理想にこだわり過ぎて、むしろ予選時よりもチーム力は落ちていた。彼の鋭すぎるパスは、むしろチームの欠点になっていた。そのあたりを当時ベンゲルが厳しく指摘していたが、中田をスター扱いしていたため、誰もそれを非難できなかった。

日韓大会では、トルシェエ監督が自らの戦術に選手を当てはめるサッカーを指導していて、中田は自らのプレーを制約しているかの如き印象がある。このチームは攻守のバランスが良く、戸田と明神という守備のスペシャリストがいた為、中田は攻撃に専念できた。されど、彼はあまり好んでいなかったようだ。完成度は高いが、それ以上の発展が望めないチームだったからだと思う。だからこそ、ジーコの選手の自主性を尊重したサッカーを、中田も支持していた。

ドイツ大会では、予選から厳しい姿勢を崩さなかった中田だが、チームの可能性自体は、一番信じていた感がある。ただ、指導的立場にありながら、空回りしていた印象が強い。攻守に活躍していたが、やはり攻撃に偏り勝ちで、守備のバランスを崩していたのは否定できない。だからこそというべきか、代表での人望は低かった印象が強い。まとめ役の宮本も信頼感を喪失気味だったため、チームのまとまりは、3大会のなかで一番弱かった気がした。

こんな形で代表最後の試合を終えた中田が、サッカーから離れるかの如きコメントを残しているのも当然な気がします。ドイツ大会の敗退を受けて現在、選手一人一人のレベルアップが言われているようです。当初から個人の技量の向上を主張していた中田。ある意味、早すぎた個人主義者だったと思います。
コメント (2)
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