ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「黄金の犬」 西村寿行

2006-07-14 09:22:50 | 
大藪春彦と西村寿行、似て非なる二人。二人とも、いわゆるヴァイオレンスものとも揶揄されるハードボイルド系の小説の大家である。狩猟を趣味とし、銃器にも明るい。大自然を舞台にした小説を数多く発表している。それでいて、決して似ていない。

乾いたサバンナや、広大な荒野、寂寥とした山岳地帯が大藪春彦のフィールドなら、西村寿行には、鬱蒼たる森林、昼なお暗い谷間の渓流、湿った雪が降り積もる野山が似合う。

黒光りする強大な破壊力を秘めたライフルで獲物を狙う大藪春彦に対し、西村寿行は歳月の重みを感じさせる猟銃で獲物を撃つ。

その狙った獲物を取ってくる犬は、大藪がポインターやセッターといった西洋犬なのに対して、西村は紀州犬などの日本犬。(実生活では大藪も日本犬を飼ってますがね)かくも違う二人。

それでいて、二人とも権力を憎む。私利私欲で権力を振るう政治家や、権謀詐術で人の心を惑わす似非宗教家を、小説のなかで暴力をもってなぎ唐キ。小説家でありながら、「ペンは剣より強し」なんて信じちゃいない。そのせいか、左派平和市民派が牛耳る日本ペンクラブとは縁遠い。警察や税務署からも、頻繁に狙われていたと聞いている。

憲法9条、ノーモアヒロシマと念仏唱えていれば幸せな,戦後の日本社会が生み出したあだ花と言えなくもない。その暴力肯定的な内容が非難、蔑視の対象とされながらも、常にベストセラー作家の常連であるから、日本人の本音と建前の表れと曲解したくなる。

同様の傾向を持ちながら、異なる手法をとる二人。私は若い頃から大藪の明るい激しさに惹かれていたのですが、心情的には西村に近いものを感じていました。とりわけ、それを強く感じたのが犬に対する姿勢でした。

二人とも大の愛犬家であり、それも犬を愛玩するのではなく、パートナーとして接するタイプであると思います。違いがあるとしたら、大藪が犬を信頼する友であり、部下的な姿勢であるのに対して、西村には犬を対等の相方として尊重しているかのごとき姿勢をみせているところではないかと感じていました。

実際、犬を主人公に近い立場での小説を書いているのは西村でした。犬と一緒に育てられた私としては、どうしても心情的に西村寿行に近くなる。表題の作品は、映画化もされたくらいですから、覚えている方も少なくないと思います。

現在は庭のない公団に住んでいるので犬を飼う事は断念していますが、いつか犬を飼いたい。首縄をつけず、足元に沿わせて野山を散歩してみたい。西村寿行の本を読むと、犬を傍らに置く人生に強く憧れてしまうのです。
コメント (2)
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