ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「太陽系7つの秘宝」 エドモンド・ハミルトン

2007-03-01 09:36:45 | 
年齢を重ねると、十代の頃は読み取れなかったことが分り、それが楽しくて十代の頃夢中になっていた本の再読をしている。

でも、やはり楽しいことばかりではない。醒めてしまって、楽しめない本もあるし、余計な雑念が入り込んで、楽しめない本もある。雑念は多くの場合、批判である。

私が子供の頃、父はアメリカかぶれであったようだ。当時の日本人の多くに見られた傾向ではあるが、分からなくもなかった。米軍の払い下げ住宅に住んでいたこともあり、その備え付けの冷蔵庫のでかさは自慢の種であった。なかでも自慢のアメリカ物が、赤いキャディラックであった。子供心にも、凄くかっこよく見えた。乗り心地は快適で、カークーラー(当時はこう表現してた)の効きは、国産車を遥かに超えて、寒いくらいであった。なによりパワーが凄かった。

実際、当時のアメリカは光り輝いてみえた。TVドラマの「パパは何でも知っている」や「奥様は魔女」などで垣間見るアメリカの家庭の電気器具の発達具合は、未来の家庭そのものであった。

現在、当たり前のように使っている電気器具の大半はアメリカで生まれたものだ。車の装備にしたって、カーエアコン、オートマティックドライブ、パワーステアリングなどは、全てアメリカで発明されたものだ。オイル・ショック前で、燃費の悪さは特筆物であったが、品質だって国産車を上回っていたと思う。

離婚した後、父は主にヨーロッパで仕事をしていたらしく、八年後帰国して再会した時の車は、縦目のメルセデェスになっていた。「キャディラックは?」と聞くと、アメ車は故障ばかりで駄目だとそっけない。初めて乗るドイツ車は、乗り心地が堅く感じた。アメ車のフワフワ感を懐かしく感じたものだ。

ところで、表題の本はアメリカのSF小説で、スペース・オペラと揶揄された宇宙活劇ものの代表作の一つだ。中学生の頃は、本当に夢中になって読んでいたのだが、30年もたつと余計な雑念が入り込んできて、十分に楽しめなかった。あの頃は疑問すら浮ばなかったが、「キャプテン・フューチャー」なる主人公が無条件で正義の側にあることさえ、今では疑問に感じてしまう。

アメリカは現実の世界でも、世の中を悪と正義の対立構造に見立てる悪癖がある。その単純すぎる二分法が、素直に楽しめない。世の中、絶対的な悪も、絶対的な正義も存在しえないと考えるようになったからだ。

この本は、アメリカが素直に、無邪気に自らの正義を信じていられた時代に書かれたものだけに、傲慢ささえもが微笑ましく見えてしまう。そのあたりに、私は反発を感じてしまうのだろう。

もっとも、現実社会では私は必ずしも反米ではない。その傲慢さには反発を覚えるが、一方アメリカの側に立ってこそ、今日の繁栄がある事実を忘れる気はない。イラク統治の失敗に暗い喜びを感じるよりも、アメリカの凋落に引きずり込まれる不安が先立ってしまう。まあ、多分アメリカが凋落するより先に、日本が衰退するほうが早いと思いますがね。
コメント (6)
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