ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「世界史の欺瞞」 ロベルト・F・藤沢

2007-03-16 09:31:48 | 
伝言ゲームを覚えているだろうか。

例えば「ヌマンタは忙しすぎて、ヘトヘトで困窮している」という短文を、口伝えで回していく。すると最後の方になると「ヌマンタは、忙しくてへたばった」に変わってしまうことがあり、それが面白いゲームであった。

このゲームを苦手とする言語がある。それが英語だという。逆に得意とするのがフランス語やスペイン語だそうだ。

表題の本の著者によると、英語は情緒を示す言葉が多く、それが複数の意味を成す故に、論獅ェ明確に伝わりづらい側面があるそうだ。

一方、フランス語やスペイン語は、複数の文化圏の人々の間で使われた歴史が長く、共通の理解を向上させる努力を積み重ねて今日があることが、伝言ゲームの強さに結びついているそうだ。なるほど、と思った。

英語という言語が国際的に広く使われるようになったのは、おそらく19世紀後半ぐらいからだと思う。それ以前は、ブリテン島限定の地域言語に過ぎず、唯一インドで商用語として使われていた程度だった。一方、フランス語やスペイン語は、南米、アフリカと広く使われていた経緯があり、国際語として活用されることを意図的に向上させてきた。

日本人は、欧米志向といいつつ、実際はイギリス、アメリカを手本として近代化を進めたことから、どうしても国際化=英米という先入観がある。ある意味、先見性があったと言えなくもない。今日の軍事、経済は英米中心であり、英語=国際語という思い込みにも、相応の根拠があると思う。

しかし、世界は広いものだ。私も表題の本を読むまで知らなかったが、南米には本国ドイツ以上にドイツ人が住んでいて、ドイツ語のコミュニティーが存在する。フランスも同様で、公式な統計数値こそないが、本国に匹敵するフランス人社会が存在するようだ。スペインについては、言うに及ばずだ。それ以外にもチェコやハンガリーのコミュニティーがあり、あらためてヨーロッパと南米との繋がりの深さを思い知らされた。

一般の日本人が思う以上に、日本は南米では存在感があり、それは英語文化圏に囚われていると、気が付かない世界だと思う。国際語=英語だと思い込んでいると、案外世界が見えなくなるという、著者の見解も相応の根拠があるものだと納得しました。

そういえば、反グローバリズムの最初の声は、スペイン語のメディアから始まったと聞いたことがあります。世界は広い。なるべくなら、広く見識を深めたいと願っているので、これからはラテン文化圏にも注目しておこうと考えています。
コメント (9)
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