大河歴史漫画とでも評したら良いのだろうか。
タイトルのカムイは、何時の間にやら消えてしまい、主人公が誰なのか分からない不思議な漫画だった。私は一揆の首謀者の正助こそ主人公だと思っていたのだが、毛語録の読書会の人たちから違うと指弾された。「名もなき民衆こそ、主人公なのだ!」と。
なんか言葉に酔っている感がしたが、さすが社会主義の理想を信じる人たちは、言う事が違うと思った。ただ、なんとはなしに違和感はあった。当時十代前半だった私には、反論するだけの力はなく、とりあえずウンウンと肯いていた。
今なら言える。大衆に媚びているだけだろう!と。
この漫画は、当時社会主義の理想を信じる人たちから、恭しく奉じられた聖典的存在だった。作者の白土三平にそのような意図があったのか、私は知らない。他の漫画、例えば「サスケ」「ワタリ」「忍者武芸帖」などには、そのような傾向はないから、もしかしたら社会主義の影響はあったのかもしれない。
日本の文壇、マスメディア、教職員の間では、長いこと資本主義暗黒史観とでも言うべき偏向に満ちた歴史観が広く蔓延していたのは事実だ。戦前の軍部支配、天皇崇拝を否定するあまり、江戸時代をも暗黒時代と捉え、理不尽で残酷な身分制度に喘ぐ、名もなき大衆という視点から歴史を断罪する。
その視点からすると、この作品は実に都合が良かったのだと思う。私は大衆の視点から歴史を考えることは否定しない。しかし、歴史を実際に動かすのは少数の偉人であり、英雄であり、叛逆者であろう。大衆は、ただその流れに従うのみだと思う。
ただ、左派歴史史観から離れて読んでみても、この作品の面白さはいささかも衰えることはない。再読してみて、つくづく感心しました。なお、当初の主人公のカムイを堂々主人公に据えたのは「カムイ外伝」です。アニメ化されたのは、こちらの外伝のほうです。
作者は書き足りないと思ったのか、十年ほど前から「カムイ外伝」の続編が描かれています。そろそろ完結したと思うので、こちらも是非とも読んでみるつもりです。
タイトルのカムイは、何時の間にやら消えてしまい、主人公が誰なのか分からない不思議な漫画だった。私は一揆の首謀者の正助こそ主人公だと思っていたのだが、毛語録の読書会の人たちから違うと指弾された。「名もなき民衆こそ、主人公なのだ!」と。
なんか言葉に酔っている感がしたが、さすが社会主義の理想を信じる人たちは、言う事が違うと思った。ただ、なんとはなしに違和感はあった。当時十代前半だった私には、反論するだけの力はなく、とりあえずウンウンと肯いていた。
今なら言える。大衆に媚びているだけだろう!と。
この漫画は、当時社会主義の理想を信じる人たちから、恭しく奉じられた聖典的存在だった。作者の白土三平にそのような意図があったのか、私は知らない。他の漫画、例えば「サスケ」「ワタリ」「忍者武芸帖」などには、そのような傾向はないから、もしかしたら社会主義の影響はあったのかもしれない。
日本の文壇、マスメディア、教職員の間では、長いこと資本主義暗黒史観とでも言うべき偏向に満ちた歴史観が広く蔓延していたのは事実だ。戦前の軍部支配、天皇崇拝を否定するあまり、江戸時代をも暗黒時代と捉え、理不尽で残酷な身分制度に喘ぐ、名もなき大衆という視点から歴史を断罪する。
その視点からすると、この作品は実に都合が良かったのだと思う。私は大衆の視点から歴史を考えることは否定しない。しかし、歴史を実際に動かすのは少数の偉人であり、英雄であり、叛逆者であろう。大衆は、ただその流れに従うのみだと思う。
ただ、左派歴史史観から離れて読んでみても、この作品の面白さはいささかも衰えることはない。再読してみて、つくづく感心しました。なお、当初の主人公のカムイを堂々主人公に据えたのは「カムイ外伝」です。アニメ化されたのは、こちらの外伝のほうです。
作者は書き足りないと思ったのか、十年ほど前から「カムイ外伝」の続編が描かれています。そろそろ完結したと思うので、こちらも是非とも読んでみるつもりです。