ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「冷たい密室と博士たち」 森 博嗣

2007-03-24 13:09:04 | 
役に立たなくてはいけないのか?

嗚呼、なるほどと思った。小学校、中学校、高校、大学と学校で学ぶことの多くは、実際の社会で役に立つことは少ない。この疑問があって、勉強をする気になれない。或いは、勉強をサボる言い訳にすることは多いと思う。

だけど表題の作者、森博嗣は登場人物に語らせる。役に立たないことがいけないのか、と。

学校で学ぶことの多くは、たしかに実社会では役立たずだと思う。連立方程式の解き方が、何の役に立とう。因数分解が出来ることが、何の役にたつのか。

本当に役に立たない。それは確かだ。

しかし、だからといって勉強する価値がないとは言えない。実社会で直接役に立たなくとも、知力の向上には役に立つ。それは考える力であり、思索する力であり、推察する力でもある。

私は仕事柄、様々な職業の人に会う。暴論かもしれないが、頭の悪い人は、稼ぎも悪い。一時的に勢いにのって大金を稼ぐことはあるが、それが続かない。これは必ずしも学歴とは一致しない。中学校すら満足に通っていない人でも、私が感心するくらい聡明な人もいる。大学を出ていても、理解に苦しむほど愚鈍な人もいる。

それでもだ、一部の例外もあろうが、全般的に鑑みれば、やはり学歴の高さは知力に比例する。もっといえば、学習能力の高さに比例する。

常に変化しつづける社会に対応するには、その状況に合わせて対処する能力が重要となる。この地球上で人間が頂点に立てたのも、学習能力の高さが決め手だと思う。

この学習能力を高める有効な手段が学校教育だ。安易に考えるべきではないと思う。実を言えば、私自身は失敗したと思う。

中卒で働くつもりだった私は、中学時代は落ちこぼれだった。クラスでなく学年で下から数えて10番以内の劣等生だった。ところが離別した父の援助で大学までいけることとなり、大慌てで勉強して、かろうじて普通科の高校へ入れた。一転して優等生を目指した私は、最初の一年でほぼ目的を達成できた。そこで慢心した。

私がやったのは、試験で点をとるための勉強に過ぎなかった。その上があることを知らなかった。気が付かなかった。元々学校なんて、社会に出るためのステップに過ぎないと考えていたので、勉強の上にある学問に気が付かなかった。

恥ずかしながら、私が学問の重要性に気が付いたのは、20代も半ばを過ぎてからだった。手遅れとは言わないが、けっこう辛かった。残念ながら、私の知力は中途半端なままになってしまい、学究の道を進むことは難しいと自覚せざる得なかった。

税理士などという専門職についたのも、ある意味妥協の産物かもしれない。やはり今でも学問をしたい欲求はある。ただ仕事と金がそれを許さない。このままだと、仕事を引退して後でないと難しいようだ。

表題のミステリーの作者、森博嗣は頭の良い人だと思う。それも私が憧れる理系タイプの頭の良さだ。こんな先生(森氏は名古屋大の先生)に学んでみたかったとつくづく思う。仕方ないので、ここしばらくはS&Mコンビのミステリー・シリーズでも楽しみますかね。
コメント (2)
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