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ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「百億の昼と千億の夜」 光瀬龍

2007-03-22 17:34:05 | 
寒いのは嫌いだ。嫌いだけれど、冬の夜空は嫌いではない。

多分、星が一番奇麗に見えるのが、冬の夜空だと思う。連日の激務を終えての家路を辿る際、ふと空を見上げると、雲の切れ間から輝く星の瞬きに、つい足を止める。こんな時は星に魅入られたが如く、立ち止まらざる得ない。

星空を見つけていると、思考はあらぬ方向へと彷徨いだす。なんのために、私は生まれてきたのだろう。なんのために存在しているのだろう。

決して満足のいく答えの見つからぬ疑問。わかっている、分っているけど悩まずにはいられない。同じような疑問に苦しんだのは私だけではあるまい。古今東西、多くの人たちが、自らの存在価値と、存在意義を知りたくて、悶々と夜を過ごしたことだろう。

この悩みに対して、答を用意したのが宗教だ。神による救済という、決して証明されえぬ万能の解決策。多くの人が、この答にすがり付いた。すがり付くことで、心の平静を得た。

私は宗教を否定したりはしない。されど、疑心の念は拭い去れない。如来による救済が50億年後と言われても、「だから何なんだ!?」と投げ捨てたくなる。まあ、それでも如来様を拝めていらっしゃる方々には十分なようなので、敢えて否定はしません。何を信じようと自由ですしね。

でも表題の作者は、敢えてその神による救いに、仏様による救済に疑問を叩き付けた。本当に救いだと言えるのか、誰のための救済なのか、と。

私は「地球に優しく」というフレーズが好きではない。「人間が住みやすい環境にしよう」が本音なのは分るが、地球自身の思いは別だと思うからだ。地球という惑星にとって、人間をはじめとした生物なんて、表面上を這い回る微生物のようなものだと思う。案外、地球さんは人間なんぞ迷惑に思ってくれれば御の字で、その存在すら意識していないかもしれない。

我々人間だって、その皮膚の上に生存する多数の微生物(菌糸やバクテリア)に思いをはせることがない(水虫はともかく)のと同様、地球だって我々人間様のことなんざ視野に入ってないと思う。いわんや、世界を創造した神々様が、なんだって人間程度を思いやらなきゃならないのか。

神を否定はしなけれど、神に依存するのが嫌な私ゆえの、ひねくれた考えかもしれません。でも、だからこそ30年以上前に読んだ、この作品が脳裏に刻まれているのだと思います。
コメント (7)
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