ヌマンタの書斎

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高野連に思うこと

2007-05-12 16:45:48 | スポーツ
昔から嫌いだったのが、高校野球連盟だ。通称「高野連」である。

かつて江川卓という剛速球を投げるピッチャーがいた。作新学園という高校のエースで、甲子園にも何度か出場している。高校から法政、そして一年間のハワイ留学を経てプロ野球入りを果たした。

全ての年代で、江川の投球を見ているが、一番剛速球であったのは間違いなく高校時代であった。その頃の剛速球投手といえば、プロ野球の鈴木や村田が有名だったが、私の印象では江川のほうが凄かった。日本人ばなれした剛球だったと覚えてる。ただし、高校までだ。

作新学園が試合をすると、多くの観客、マスコミが集まった。もちろん、目当ては江川だった。その試合を主宰していたのが、何を隠そう高野連だった。江川に限らないが、高校球児からスター選手が現れると、それを利用して稼いでいたのが高野連だった。

絶対に投げ過ぎだったと思う。江川自身もそう思っていたようで、法政では手抜きして投げているような印象があった。不自然な巨人入団以後も、高校時代ほどの剛速球にお目にかかることは稀だったと感じている。それでも、時折投げた剛速球には、光るものがあったと思う。今にして思うと、MLBの速球派のピッチャーに似ていた気がする。何気なく、自然なフォームで投げるボールは、重く、速くキャッチャーのグラブに納まった。

江川は、高校時代に投げすぎたことが、現役のプロ野球選手としての寿命を縮めたと思う。もっといえば、高野連に潰されたと言いたくなる。

先月くらいから話題になっている高校野球選手への特待生制度への批判も、えらく胡散臭い。なぜ特待生が悪いのか?他のスポーツでも当然にあり、長年認められてきた慣行だったはずだ。今更になって、高野連が特待生制度を批判しているは、どう考えてもおかしい。

私に言わせれば、要は高野連が金と主導権を握りたいだけだと思う。高野連のあずかり知らぬところで大金が動いているのが気に入らないのだと思う。昔から、高野連はそうだった。プロ野球との交流を禁じていたのもそうだし、妙なアマチュアイズムを掲げて金儲けの排除を口にしつつ、自分たちへの金の流れに外部の目を入れさせない。

日本の野球のレベルが高いのは、プロ野球という目標があるからだ。プロ野球選手になって活躍して大金を稼ぐという夢を持てるからこそ、若者たちは野球に真剣に取り組む。高校野球は、そのための選手の供給育成の役割を担っていることは確かだ。高野連は、その役割が気に入らないか?以前から妙に野球界の動きに口を挟みたがる。

私はプロ野球とは無縁に、単純にスポーツとしての野球を楽しむことは否定しない。青少年がスポーツに励むことは良いことだと思っている。だからといって、将来の夢としてプロ野球を目指すことを否定しない。当然によい選手が欲しいプロ野球側からの補助はあるだろうし、良い選手の獲得育成のための特待生制度は必然だと思う。

プロ野球が本当に公平な新人獲得を目指すならウェーバー方式などの導入を目指すべきだし、高校野球が健全なスメ[ツでありたいのなら、裏金を禁止することもやればいい。でも、特待生制度を野球だけ止める道理はあるのか?そもそも何の道理があって、高野連はそのような高飛車な態度を取れるのだ?自らの胡散臭さは押し隠したままで、なに奇麗事言っているのだと揶揄したくなる。

高野連にせよ、朝日新聞にせよ、アマチュアイズムを妙に美化するのは止めたほうがいい。胡散臭いし、非現実的だ。努力して才能を磨き、成功を掴むこと(金を儲けることを含めて)を卑下するためのアマチュアイズム賛美は、見苦しいと思う。
コメント (5)
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