現在、世界のオートバイ市場は、日本のメーカー4社(ホンダ・ヤマハ・川崎・スズキ)でほぼ7割近くを占めてしまっている。海外勢で大手といえるのはドイツのBMWと、アメリカのハーレーダビッドソン社だけだ。後はヨーロッパの中小メーカーが残っているばかり。
ちなみに、ハーレーの生産設備、生産方式は日本の技術協力の賜物だ。ハーレーが経営危機の時、倒産による反日感情を危惧した日本メーカーの協力により、ハーレーは経営危機を乗り切ったのだが、公に語られることは少ない。ヨーロッパでは、やはり反日感情への対処として、輸出を自主規制し、中小メーカーの生き残りを可能になさしめたのは有名な話。その結果、イタリアやスペインの個性豊かなオートバイ・メーカーが生き残ったのだから、正しい判断だったと思う。
ただし21世紀以降は、中国やベトナムがミニバイクを大量に販売しているので、日本の占有する比率は今後下がっていくはずだ。やはり安い人件費によるコストダウンの効用は大きい。しかし、今後どれほど中国のコピー・バイクが大量販売されても、日本のメーカーほどのブランド力は得られないと思う。なぜなら、このブランド力は長年のレース活動により培われたものだからだ。そして、その過程は苦闘の連続であり、その中で技術力を向上させ、世界一のオートバイメーカーとしての地位を確立した。
日本において、オートバイが市場に出回るようになったのは戦後のことだった。小さな町工場から様々なバイクが出荷された。その一つに本田宗一郎が設立した小さな町工場あった。本田だけではない。後の川崎やヤマハ、スズキといったメーカーも当時は小さな工場から始まっている。
オートバイが普及すると、各地でレースが開催された。なかでも有名だったのは、浅間山レースだった。本田もヤマハもここでレースのノウハウを身につけ、海外のレースに参加したものだ。本田宗一郎自らが乗り込んだ、イギリスのマン島では意気込みとは裏腹に、その結果は無残なものだった。毎年のように、レースに参加して、馬鹿にされ、屈辱をかみ締めつつ、少しずつ実力を身につけた。やがては、ヨーロッパのメーカーから脅威とみなされるほど実力をつけて、レース同様市場を席巻した日本製のバイクたち。それは30年にも及ぶ、苦闘の産物であった。
日本では、オートバイは暴走族のイメージを強く持つため不当に貶められているが、ヨーロッパでは大人の娯楽、趣味として扱われている。なかでもレーサーたちは、そのスポンサーたる上流階級の資本家たちとも密接なつながりをもち、その社会的地位も決して低くはない。自動車のF1レースをみればわかるように、オートレースは貴族文化と裏腹な関係を持っている。だからこそ、レースで実績を上げた日本のオートバイメーカーの地位は、確固たるものなのだ。
ガンマニアでもあり、カーマニアとしても知られた作家・大藪春彦は、オートバイにも関心は深かった。日本のオートバイメーカのレースでの苦闘と活躍を時代背景に書かれたのが、表題の作品だった。実際のレースと現実の登場人物を、架空の主人公と入り交えて書かれた、この作品は単なる娯楽ものとして読み捨てるには惜しいと思う。
ちなみに、ハーレーの生産設備、生産方式は日本の技術協力の賜物だ。ハーレーが経営危機の時、倒産による反日感情を危惧した日本メーカーの協力により、ハーレーは経営危機を乗り切ったのだが、公に語られることは少ない。ヨーロッパでは、やはり反日感情への対処として、輸出を自主規制し、中小メーカーの生き残りを可能になさしめたのは有名な話。その結果、イタリアやスペインの個性豊かなオートバイ・メーカーが生き残ったのだから、正しい判断だったと思う。
ただし21世紀以降は、中国やベトナムがミニバイクを大量に販売しているので、日本の占有する比率は今後下がっていくはずだ。やはり安い人件費によるコストダウンの効用は大きい。しかし、今後どれほど中国のコピー・バイクが大量販売されても、日本のメーカーほどのブランド力は得られないと思う。なぜなら、このブランド力は長年のレース活動により培われたものだからだ。そして、その過程は苦闘の連続であり、その中で技術力を向上させ、世界一のオートバイメーカーとしての地位を確立した。
日本において、オートバイが市場に出回るようになったのは戦後のことだった。小さな町工場から様々なバイクが出荷された。その一つに本田宗一郎が設立した小さな町工場あった。本田だけではない。後の川崎やヤマハ、スズキといったメーカーも当時は小さな工場から始まっている。
オートバイが普及すると、各地でレースが開催された。なかでも有名だったのは、浅間山レースだった。本田もヤマハもここでレースのノウハウを身につけ、海外のレースに参加したものだ。本田宗一郎自らが乗り込んだ、イギリスのマン島では意気込みとは裏腹に、その結果は無残なものだった。毎年のように、レースに参加して、馬鹿にされ、屈辱をかみ締めつつ、少しずつ実力を身につけた。やがては、ヨーロッパのメーカーから脅威とみなされるほど実力をつけて、レース同様市場を席巻した日本製のバイクたち。それは30年にも及ぶ、苦闘の産物であった。
日本では、オートバイは暴走族のイメージを強く持つため不当に貶められているが、ヨーロッパでは大人の娯楽、趣味として扱われている。なかでもレーサーたちは、そのスポンサーたる上流階級の資本家たちとも密接なつながりをもち、その社会的地位も決して低くはない。自動車のF1レースをみればわかるように、オートレースは貴族文化と裏腹な関係を持っている。だからこそ、レースで実績を上げた日本のオートバイメーカーの地位は、確固たるものなのだ。
ガンマニアでもあり、カーマニアとしても知られた作家・大藪春彦は、オートバイにも関心は深かった。日本のオートバイメーカのレースでの苦闘と活躍を時代背景に書かれたのが、表題の作品だった。実際のレースと現実の登場人物を、架空の主人公と入り交えて書かれた、この作品は単なる娯楽ものとして読み捨てるには惜しいと思う。