ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「2001年宇宙の旅」 アーサー・C・クラーク

2007-05-30 09:28:54 | 
何故、人間はかくも矛盾した存在なのだろう。

風光明媚な自然の風景に感動する一方で、その自然をいとも容易に破壊する。愛する人を大切に想う一方で、嫉妬に狂い憎悪をたぎらせる。穏やかな平和に安らぎを感じて、このまま続く事を願う一方で、戦いに血をたぎらせ容易に興奮の坩堝に自ら飛び込む。真実と誠実さを大事に思う一方で、平然と嘘をつき誤魔化す事を厭わない。

私は子供の頃から、人間という生き物は未完成な存在だと感じていた。単細胞生物から進化して、おサルさんから人間様へとなったはいいが、これが最終形態だとは思えなかった。

ダーウィンが提唱した「進化論」は、ほぼ世界中に広まったと言えるが、先進国では唯一アメリカだけが公に進化論を学校で教えることに異議を唱えている。なぜなら、聖書には人は神が創ったと書いてあるからだ。サルから進化したなんて、聖書のどこにも書いてない!

アメリカには、聖書に書かれたことをすべて信じるキリスト教が大きな勢力を持っている。これはアメリカで生まれた新興宗教であって、通常ファンダメンタリストと称されている。適切な訳語がないので、私はキリスト教原理主義と意訳している。

また、ファンダメンタリストほどではないが、進化について、それを神の御業だと解釈するアメリカ人は案外多い。これなら、私でも分かる。このような進化の過程が、まったくの弱肉強食と適者生存の原則だけでなされたのか、やはり疑問に思わざる得ない。だからこそ、神のような超越者による導きがあるのではないかと、思い込みたくなる。

表題の著者である、アーサー・C・クラークはSF作家として、きわめて知名度の高い人だ。その作品には、不気味なエイリアンが暴れるようなことはない。豊富な知識と、理性的な判断で、安心して楽しめるSF作家だと思う。代表作は「地球幼年期の終わり」だと思う。やはり、表題の作品同様、人類の進化をテーマにしている。私の個人的な印象では、やはりクラークも人間を不完全なものと考えていた気がする。ただ、その進化に神ではなく超越者をもってきたところが独創的だと思う。

非常に珍しいケースだと思うが、実はスタンリー・キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」は、クラークとキューブリックの合作に近い作られ方をしたようだ。映画の公開が先で、小説の発表は後になっている。アイディア自体はクラークのもののようだが、映画を先行したのは営業上(あるいは資金繰り)の理由だったと聞いたことがある。

映画は公開当初は、散々の出来との批評だったが、年を追うごとに評判が高まり名作入りした変り種でもある。CG技術によるSFX映像なんぞ無かった時代に作られた映画だが、今見ても斬新さには目を奪われる。私自身は映画より先に原作を読んでいたが、映像と音楽の組み合わせが素晴らしかったことがあり、小説と甲乙つけがたいと思う。「地球幼年期の終わり」の映画化は無理なのかなぁ~
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする