男は度胸。
子供の頃からよく聞かされた言葉だ。言いたいことは分かるが、今は度胸ではなく度量ではないかと思っている。別に男に限らないが、人としての魅力には、器の大きさがあると思う。
学校でも会社でもそうだが、自然と人が周囲に集まる人がいる。話術が巧みだったり、スポーツが得意だったりを根拠の人気者である場合も多い。社会人ならば、仕事が出来る、頼りになる・・・といったところだろうか。
ただ単に、人を周囲に集めるだけではなく、多くの人を動かせる人がいる。人望というより、リーダーシップがある人たちだ。興味深いことに、リーダーシップという奴は正しさを根拠にしない。正論も模範解答も、リーダーの強い意向の前には影が薄い。
不思議なことに、リーダーシップという奴は、教育では育めないと思う。たしかに勉強が出来ること、仕事が出来ること、正しい知識を提示できることには、人はそれなりに敬意を表する。だが、それだけでは人はついて来ない。
私自身、省みてもリーダーとしての力量を認めた奴は、勉強やスポーツ、話術、知識を根拠に認めた訳ではない。人望といえば簡単だが、そこに居るだけで、周囲を安心させることの出来る奴だった気がする。細かい点で食い違いがあろうと、それを大きく深く飲み込める奴でないと、リーダーとして認める気にはなれなかった。私はそれを度量の深さ、器の大きさとして考えていた。
表題の本の著者、佐高信は優しい人だと思う。勉強家であり、高い倫理観を持ち、努力を惜しまない人なのだろう。だから、その主張には、なるほどと思うことは少なくない。よく調べているし、よくまとめていると思う。
それでも思う、佐高の主張が世の大勢となることはないと。
確かに主張は正しいかもしれない。その主張の背後にある優しい想いも分からないではない。しかし、その主張は一方的に過ぎる。その先の展望がない。その主張を実現できる気配がない。
つまるところ、佐高にはリーダーシップがない。だから、彼の主張に肯く人はあっても、実際にそれを実践する人は出てこない。佐高自身に、人を動かす力量に欠けていることが明らかだからだ。率直に言って、この人は狭量だと思う。人としての度量の浅さが容易に感じ取れてしまう。だからついて来る人がいない。ただ遠巻きに拍手するだけだ。
多分、佐高はリーダーシップの欠如に気がついている。器量の小ささに感づいている。でも、どうしたら良いか分からないから、今まで通り、非難し続けるだろう。悲しき批判専門家として、死ぬまで主張し続けるのだと思う。
子供の頃からよく聞かされた言葉だ。言いたいことは分かるが、今は度胸ではなく度量ではないかと思っている。別に男に限らないが、人としての魅力には、器の大きさがあると思う。
学校でも会社でもそうだが、自然と人が周囲に集まる人がいる。話術が巧みだったり、スポーツが得意だったりを根拠の人気者である場合も多い。社会人ならば、仕事が出来る、頼りになる・・・といったところだろうか。
ただ単に、人を周囲に集めるだけではなく、多くの人を動かせる人がいる。人望というより、リーダーシップがある人たちだ。興味深いことに、リーダーシップという奴は正しさを根拠にしない。正論も模範解答も、リーダーの強い意向の前には影が薄い。
不思議なことに、リーダーシップという奴は、教育では育めないと思う。たしかに勉強が出来ること、仕事が出来ること、正しい知識を提示できることには、人はそれなりに敬意を表する。だが、それだけでは人はついて来ない。
私自身、省みてもリーダーとしての力量を認めた奴は、勉強やスポーツ、話術、知識を根拠に認めた訳ではない。人望といえば簡単だが、そこに居るだけで、周囲を安心させることの出来る奴だった気がする。細かい点で食い違いがあろうと、それを大きく深く飲み込める奴でないと、リーダーとして認める気にはなれなかった。私はそれを度量の深さ、器の大きさとして考えていた。
表題の本の著者、佐高信は優しい人だと思う。勉強家であり、高い倫理観を持ち、努力を惜しまない人なのだろう。だから、その主張には、なるほどと思うことは少なくない。よく調べているし、よくまとめていると思う。
それでも思う、佐高の主張が世の大勢となることはないと。
確かに主張は正しいかもしれない。その主張の背後にある優しい想いも分からないではない。しかし、その主張は一方的に過ぎる。その先の展望がない。その主張を実現できる気配がない。
つまるところ、佐高にはリーダーシップがない。だから、彼の主張に肯く人はあっても、実際にそれを実践する人は出てこない。佐高自身に、人を動かす力量に欠けていることが明らかだからだ。率直に言って、この人は狭量だと思う。人としての度量の浅さが容易に感じ取れてしまう。だからついて来る人がいない。ただ遠巻きに拍手するだけだ。
多分、佐高はリーダーシップの欠如に気がついている。器量の小ささに感づいている。でも、どうしたら良いか分からないから、今まで通り、非難し続けるだろう。悲しき批判専門家として、死ぬまで主張し続けるのだと思う。