ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「オーバー・ザ・エッジ」 グレッグ・チャイルド

2007-06-25 09:39:19 | 
1999年、中央アジアのキルギスで日本人が拉致された事件を覚えているだろうか。

国際協力事業団から派遣された日本人鉱山技師4名がIMU(ウズベキスタン・イスラム・運動)組織に攫われて、結局多額の身代金(公式には否定)を払って開放された事件だった。

その一年後に、やはりキルギスで起こった外国人クライマー誘拐事件の顛末を追ったのが表題の本です。

私は20を過ぎてから、フリークライミングの魅力に取り付かれた。岩を登るといっても、岩ならなんでも良いという訳ではない。砂岩のスラブ(一枚岩)の登攀は、卸し金を上る感があり、落ちれば、摩り下ろされたような怪我をする。これはこれでスリル満点だったが、一度墜落すると、服はボロボロ、顔も足も擦り傷だらけと悲惨だった。

また日本の岩場で多いのは、風雪で劣化した脆い岩場だ。これはフリーで昇るのはいささか危険すぎる。特に上部の草付き帯の登攀は恐怖そのもの。柔らかい土と草の生える急斜面の登攀は、なるべくなら勘弁してもらいたい。

やはり昇るなら、硬い花崗岩の岩壁が理想的だ。しっかりした岩を掴みながら、急峻な岩壁に昇る爽快さは格別だった。しかし、案外このような花崗岩の岩壁は少ない。日本なら秩父の小川山など少数の岩場に限定される。まして、数百メートルの規模がある花崗岩のビック・ウォールともなると、世界的にも珍しい。アメリカのヨセミテ、フランスのヴェルドン、南米のパタゴニアなどが有名だが、中央アジアのキルギスも隠れた名所のようだ。

冷戦時では、ほとんど西側には知られず、ソ連のクライマーの手記が稀に発表される程度だったようで、事実私は全く知らなかった。ベルリンの壁が崩壊して、ソ連が解体してから後、ようやく外国人の入国が許され、世に知られるようになった穴場中の穴場であったようだ。

しかし、国際情勢に明るい方ならご存知のとおり、中央アジア一帯は危険地帯でもある。ソ連は崩壊したが、いまだ影響力は強く、独裁型の政治を行う国が多い。しかも、イスラム教徒が多い地域でもあり、アフガン戦争以来きな臭い噂の絶えない紛争地帯でもある。安易に観光旅行が楽しめる場所でないことは言うまでもない。

「そこに山があるからだ」と言い訳していた高名な登山家がいたが、素晴らしい岩場があると聞けば、いてもたってもいられないのがクライマーの性というものだ。若いアメリカのクライマーたちも、危険などろくに調べもせず、意気揚々とキルギスに行ってしまった。この暢気な外国人は、当然にテロリストの標的となるが、このテロリストも速成の出来損ない。素人に毛が生えたような代物だった。それでも拉致された外国人の若者にとっては、相当なストレスであったのだろう。

拉致からの脱出の顛末は省きますが、興味深いのは解放された後のドタバタ劇でした。あまりに素人臭い外交交渉と、官僚型の行政の典型のような政府の対応。嘘が一人歩きして、事実が曖昧になり、堅い友情が不信と怒りで崩れていく様は、拉致そのものより悲惨なのかもしれません。

私は当初、ノンフィクションの冒険劇として読み出したのですが、実際には一般人がテロリストに誘拐され、解放され、マスコミにもみくちゃにされ、世間の疑惑と政治の冷たさに押しつぶされる姿を描いたものでした。おそらくは、これこそが真実の姿なのでしょう。期待したものではありませんでしたが、ノンフィクションとしては実に興味深い作品だと思います。
コメント
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