私は相応の根拠がないことは書きたくないと考えている。ところが今日、書く記事はその根拠が明白ではない。だから軽く読み流す程度にして欲しい。
シナの天安門広場での虐殺事件が起こったとき、私は長期の病気療養中で、暇だけは持て余していた。だから、この報道はかなり詳細にTVを観ていた。
TVを観ているうちに気がついたのだが、事件が起こった当初と中盤以降では報道の姿勢が変わっている。妙な違和感があり、非常に気になっていたのだが、今日に至るまでその明快な根拠を見出せずにいる。だから、この後、私が書く文は、かなりの部分私の憶測だけで成り立っていることを念頭に置いて欲しいのです。
そもそも何故、天安門広場にシナの大衆は集まったのか。
急激な経済発展は、急激であるがゆえに無理があった。どうしても矛盾を孕んだ成長とならざるえない。市場経済を部分的に導入する以前の共産中国では、立身出世を図る最良の道は共産党幹部になることだった。
具体的には北京大学に入り、共産党青年部で実績を積み上げ、やがて地方に赴き政治手腕を発揮することだ。ところが市場経済の導入は、この出世街道にひび割れを生じせしめた。
自分たちが指導、管理してやるはずの民間の商人たちが、自分たちよりも莫大な金を儲けて立派な家を建て、高級車を乗り回す。真面目に勉強して、共産党幹部を目指した未来のエリート候補生たちは、市場経済の発展に不安を抱いたはずだ。だからこそ、政治に不満を持った。
当初、天安門広場に集まった北京大学の学生たちの要求は、民主化ではなく市場経済導入政策への危惧であった。自分たちの声を聞いてくれと、天安門広場に集まったのが実情だった。ここで誤解が生じた。
今もそうだが、シナの人にとって民主とは、「俺、主人、お前ら民。俺の言い分を聞け」といった概念になる。自分の主張を言い張る権利こそが民主なのだ。
その民主を、欧米(日本も含む)のマスコミが取り違えた。欧米流の民主主義の導入をシナの大衆が求めていると勘違いしたのだ。
誤解は更なる誤解を招き、急激な市場経済の発展に苦しむ都市の大衆がこの騒ぎに便乗した。俺たちの言い分も聞いてくれと、続々広場に集まってきた。
急激な市場経済の発展は、多くの場合生産者に有利に働く。一方都市の消費者にはインフレ(貨幣価値の下落)が相乗して必然的に家計は苦しくなる。だから都市部の住民たちが不満の声を上げに、天安門広場に集まった。
そして、それを欧米のマスコミが煽る形となった。狡猾なシナの住民もそれを利用した。いつのまにやら天安門広場は民主主義の広がりを求める大衆のシンボルと化した。
ここに至って北京政府をこの騒動を国家動乱だとみなしたはずだ。だからこそ、地方から軍を呼び強制的に解散させようと武力行使に至った。
私がこのような妙な考えを抱くようになったのは、フランスの通信社(AFP)の報道による部分が大きい。当初の北京大学の学生たちのインタビューを聞く限り、私には市場経済の導入に反対する集会としか思えなかった。少なくとも、当初AFPはそのように報じていたはずだ。(ただし活字としての証拠がない)
ところが、学生手作りの民主の女神とやらが天安門広場に登場したあたりから、欧米のメディアの報道が歪みだした。いつのまにやら、民主主義を求める大衆といった視点で報道がされるようになっていた。事実よりも、期待する理想の報道に囚われた。
困ったことにAFPもその流れに乗り出し、戦車による虐殺劇が「民主主義の萌芽を力でねじ伏せる北京政府」といった報道に加速化していたた。
この天安門騒動は、シナの各地に飛び火したが、それは都市部に限られた。国土の大半を占める農村には波及しなかった。当然である。市場経済の導入は、農村部で起きた民商たちにこそ利益をもたらしたからだ。不満を抱いていたのは、学生や都市住民のような非生産者であったからでもある。
私の憶測が正しいのならば、北京政府による軍事力の行使による動乱平定は、独裁政権として正しい判断となる。ただし、非武装の大衆を弾圧する手法が上手くなかったのは事実だ。さりとて私の推測には明白なる根拠がない。AFPもCNNも、天安門広場の騒乱を民主主義の萌芽とみなして美化する姿勢をとり続けているので、私の憶測は暴論でしかない。
あれから十数年、未だに私は悩んでいる。私の考えは単なる邪推なのかと。当分のあいだ、宿題になりそうなテーマでもある。じっくり腰をすえて考えていこうと思うのです。ただ、現時点ではシナの大衆は民主主義を求めてはいないと判断しています。
シナの天安門広場での虐殺事件が起こったとき、私は長期の病気療養中で、暇だけは持て余していた。だから、この報道はかなり詳細にTVを観ていた。
TVを観ているうちに気がついたのだが、事件が起こった当初と中盤以降では報道の姿勢が変わっている。妙な違和感があり、非常に気になっていたのだが、今日に至るまでその明快な根拠を見出せずにいる。だから、この後、私が書く文は、かなりの部分私の憶測だけで成り立っていることを念頭に置いて欲しいのです。
そもそも何故、天安門広場にシナの大衆は集まったのか。
急激な経済発展は、急激であるがゆえに無理があった。どうしても矛盾を孕んだ成長とならざるえない。市場経済を部分的に導入する以前の共産中国では、立身出世を図る最良の道は共産党幹部になることだった。
具体的には北京大学に入り、共産党青年部で実績を積み上げ、やがて地方に赴き政治手腕を発揮することだ。ところが市場経済の導入は、この出世街道にひび割れを生じせしめた。
自分たちが指導、管理してやるはずの民間の商人たちが、自分たちよりも莫大な金を儲けて立派な家を建て、高級車を乗り回す。真面目に勉強して、共産党幹部を目指した未来のエリート候補生たちは、市場経済の発展に不安を抱いたはずだ。だからこそ、政治に不満を持った。
当初、天安門広場に集まった北京大学の学生たちの要求は、民主化ではなく市場経済導入政策への危惧であった。自分たちの声を聞いてくれと、天安門広場に集まったのが実情だった。ここで誤解が生じた。
今もそうだが、シナの人にとって民主とは、「俺、主人、お前ら民。俺の言い分を聞け」といった概念になる。自分の主張を言い張る権利こそが民主なのだ。
その民主を、欧米(日本も含む)のマスコミが取り違えた。欧米流の民主主義の導入をシナの大衆が求めていると勘違いしたのだ。
誤解は更なる誤解を招き、急激な市場経済の発展に苦しむ都市の大衆がこの騒ぎに便乗した。俺たちの言い分も聞いてくれと、続々広場に集まってきた。
急激な市場経済の発展は、多くの場合生産者に有利に働く。一方都市の消費者にはインフレ(貨幣価値の下落)が相乗して必然的に家計は苦しくなる。だから都市部の住民たちが不満の声を上げに、天安門広場に集まった。
そして、それを欧米のマスコミが煽る形となった。狡猾なシナの住民もそれを利用した。いつのまにやら天安門広場は民主主義の広がりを求める大衆のシンボルと化した。
ここに至って北京政府をこの騒動を国家動乱だとみなしたはずだ。だからこそ、地方から軍を呼び強制的に解散させようと武力行使に至った。
私がこのような妙な考えを抱くようになったのは、フランスの通信社(AFP)の報道による部分が大きい。当初の北京大学の学生たちのインタビューを聞く限り、私には市場経済の導入に反対する集会としか思えなかった。少なくとも、当初AFPはそのように報じていたはずだ。(ただし活字としての証拠がない)
ところが、学生手作りの民主の女神とやらが天安門広場に登場したあたりから、欧米のメディアの報道が歪みだした。いつのまにやら、民主主義を求める大衆といった視点で報道がされるようになっていた。事実よりも、期待する理想の報道に囚われた。
困ったことにAFPもその流れに乗り出し、戦車による虐殺劇が「民主主義の萌芽を力でねじ伏せる北京政府」といった報道に加速化していたた。
この天安門騒動は、シナの各地に飛び火したが、それは都市部に限られた。国土の大半を占める農村には波及しなかった。当然である。市場経済の導入は、農村部で起きた民商たちにこそ利益をもたらしたからだ。不満を抱いていたのは、学生や都市住民のような非生産者であったからでもある。
私の憶測が正しいのならば、北京政府による軍事力の行使による動乱平定は、独裁政権として正しい判断となる。ただし、非武装の大衆を弾圧する手法が上手くなかったのは事実だ。さりとて私の推測には明白なる根拠がない。AFPもCNNも、天安門広場の騒乱を民主主義の萌芽とみなして美化する姿勢をとり続けているので、私の憶測は暴論でしかない。
あれから十数年、未だに私は悩んでいる。私の考えは単なる邪推なのかと。当分のあいだ、宿題になりそうなテーマでもある。じっくり腰をすえて考えていこうと思うのです。ただ、現時点ではシナの大衆は民主主義を求めてはいないと判断しています。