ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

パーマネント野ばら 西原理恵子

2009-06-11 13:32:00 | 
落ちぶれた姿に、本来の生命力をみる気がする。

ホームレスでも浮浪者でもいいが、その姿はくすぶった灰色の諦めがみてとれる。家族から見放された孤独な灰色であり、人生に疲弊した灰色でもある。なによりも、社会のなかで居場所をなくした灰色であることが辛い。

私はこのようなホームレスに負けず劣らず不幸な境遇に喘ぐ人たちがいることを知っている。不幸の原因は病気であったり、借金であったり、あるいは家族であることもある。ところが不思議なことに、彼らはホームレスほど不幸に見えない。

帰る家があると云っても、その家に居る場所がないこともあるし、ただ単に居座っているだけのこともある。法的な権利がないのだが、それでもふてぶてしく居座る。その逞しさには、いささか辟易するが生命力旺盛であることはたしか。

それは外見からも分る。浮浪者のようなくすぶった暗い色の印象はない。むしろ毒々しいほどに色彩鮮やかであることすらある。あまり洗濯はしていないようだが、それなりに色の組み合わせにも気を遣っているようだ。センスは悪いが、それでもそれなりにお洒落なのだろう。

不幸な境遇に負けないように外見を整えているのだと思う。その気概が浮浪者などとは一線を画す。やっぱり外見は大事なのだと痛感する。

西原理恵子が描く表題の漫画には、うらぶれた村にある一軒のパーマ屋さんが舞台となる。そこを訪れる客は、幸せな人生を送っているとは言い難い人たちばかりだ。下世話な噂話と、品のかけらもない下劣な猥談がとびかう。

誰もがすねに傷をもち、その傷をネタに媚びもすれば激昂することもある。不幸に押し潰されそうになりながらも、ぎりぎりのところで潰されぬよう、救いだしてくれる村でもある。

決してお洒落でもなく、下品で下劣で逞しく、それでいて繊細で哀しくて、どうしようもなく寂しい。けれども、そんな寂しさを下品な派手さで隠し通し、下劣な笑いで押し切る逞しさ。

生きていれば、生きてさえあれば、きっとイイことあるさ。ないかもしれないけど、知りたくもない真実よりも、間抜けに明るい嘘があれば、なんとかなるさ。

泣いているの?笑っているの? え、分んない?

分らないなら、分らないままでいいさ。それでも明日のお天道様は昇ってくるしね。たまには髪をカットしにおいで。気分変るよ。この店は、いつまでこの村でやっているからさ。
コメント
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