私はお化けは見たことがない。
正確に言うならば、お化けを見たと認識したことはない。だが、もしかしたら死者の声は聞いているかもしれない。
かれこれ20数年前だが、私はある大学病院の病棟で寝たきりの生活を送っていた。命の危機は脱したが、治癒の見通しは暗くベッドの上から動くことさえ出来ずに居た。丁度今頃の時分であった。
私が3ヶ月あまりを過ごしたその病室は、本来は四人部屋なのだが、いろいろな医療機器が置かれてあり、実質2人部屋と化していた。ナースステーションの目の前にあり、すぐに医師や看護婦が駆けつけられる部屋でもある。別名「天国に一番近い部屋」と呼ばれていたことは、退院して後に看護婦さんから聞かされた。
聞いた時は呆れたが、納得のいくものでもあった。なにせ、私が居た3ヶ月だけに限っても、生きて病室を出た患者より、そうでない患者が多いことぐらい、寝たきりの私でも分ったからだ。
その一人にKさんがいた。元々その病棟は難病の治療で知られたN教授の担当であったせいか、全国から変った病気の患者が集まる傾向はあった。そのKさんもかなり変った病気の持ち主で、入退院を繰り返していた。
正直言うと、私はKさんが嫌いであった。いささか心がねじくれた人であった。私の元へ女性の見舞い客が来ると、わざわざその時に限ってベッドの脇で尿瓶に排尿をするのだ。いくらカーテンで仕切ってあっても、分るものは分る。
普段は大人しい人だったが、苦しくなると一晩中でも苦痛のボヤキを発する人でもあった。「苦しいよう、死んじゃうよ、痛いよう」と30過ぎのいい大人が一晩中ボヤやくのである。そのくせ、翌朝になると、ケロっとして、周囲の人が寝不足(うるさくて眠れなかった!)気味なのを不思議そうにしている無神経な人でもあった。
どうも、幼少時からの病気のせいで、他人とのコミュニケーションがまともに出来ない人であったらしい。お喋りな私だが、Kさんとはまともに会話を交わした覚えはない。可愛そうな人でもあるが、同室の方からの苦情が多く、頻繁に病室を変る患者でもあった。私がいた病室に来た時も、それほど病状は悪くなく、多分他の患者からの苦情を受けての転室だったと思う。実際、他のベッドが空くと、さっさと移っていった。
しかしある晩、再び私のいた病室に移されてきた。呼吸が苦しそうで、医師と看護婦がなにやら処置をしているのが、カーテン越しに見て取れた。相変わらず苦痛のボヤキを発するのには閉口したが、緊急時の今回は仕方ないと諦めて、ウォークマンのボリュームを上げて、音楽に集中することで我慢した。
病棟が深夜シフトに代わり、夜勤の看護婦さんたちが交替に付いた頃だと思う。Kさんのベッドにつきっきりだったお医者さんたちも立ち去り、Kさんはようやく静かになった。私もイヤフォンをはずして、眠りに入った。
ふと気がつくと話し声がする。隣のKさんが誰かと話している。私は寝たきりだったので、時間を確認することは出来なかったが、夜が明ける直前だと思う。こんな明け方にお喋りするなと憤ったが、いつものボヤキと違い、なにやら真剣そうな会話であったので、仕方なく我慢するため再びウォークマンを聴くことにした。
病棟の朝は早い。6時になると看護婦さんが体温や血圧を測りにやってきた。私がウォークマンを聴いているのを見て、あら早起きねと、元気に声をかけてくる。
私は隣のベッドの方を指差して、お喋りがね・・・と小声で呟く。すると看護婦さんが不思議そうに、隣は空いているわよと答えた。
え?
いつものように病室のカーテンを次々と開いていく彼女の向うにみえるベッドは、たしかに空っぽだった。あれれ?変だな。明け方にKさんが誰かとお喋りしてたはずだがと呟くと、看護婦さんが表情を消した。気のせいよと笑って立ち去っていく風情が妙に不自然だった。
その日、透析室に行く際ヘルパーさんに聞いたら、Kさんは昨夜のうちに亡くなったそうで、深夜の交替のときには、ベッドの整理に呼び出されたのよと愚痴られた。じゃあ、私が明け方に聞いた話し声はなんだ?
霊感に乏しい私は、その時も背筋が凍るとか、怪しい気分になることはなかった。第一苛立っていたぐらいで、怖いとは思わなかった。ただ妙に思っただけだ。
もちろん私が誰かが廊下でお喋りしていたのを勘違いした可能性もある。でも、そんな元気な患者のいる病棟ではないはず。医者と看護婦なら分るが、男同士だったと思う。
ただ、Kさんの声であったことは確かだ。私は目が悪い分、耳はかなり良い。あのKさんは、かなり独特な声、口調であったので聞き間違いえるはずがない。
しかし、昨夜のうちに亡くなったのは確かなようだ。じゃあ、誰だ?
まぁ、世の中すべからく論旨明快、理路整然であるはずもなく、分らないこと数多あるのが当たり前。分らんことは、分らない。それにしてもKさん、何を話していたのだろう。だって、とっても孤独な人だったと思うから、聞き耳たてたほうが良かったかもと、ちょっぴり後悔しています。あるいは、聞かずに済んで良かったのかな?
正確に言うならば、お化けを見たと認識したことはない。だが、もしかしたら死者の声は聞いているかもしれない。
かれこれ20数年前だが、私はある大学病院の病棟で寝たきりの生活を送っていた。命の危機は脱したが、治癒の見通しは暗くベッドの上から動くことさえ出来ずに居た。丁度今頃の時分であった。
私が3ヶ月あまりを過ごしたその病室は、本来は四人部屋なのだが、いろいろな医療機器が置かれてあり、実質2人部屋と化していた。ナースステーションの目の前にあり、すぐに医師や看護婦が駆けつけられる部屋でもある。別名「天国に一番近い部屋」と呼ばれていたことは、退院して後に看護婦さんから聞かされた。
聞いた時は呆れたが、納得のいくものでもあった。なにせ、私が居た3ヶ月だけに限っても、生きて病室を出た患者より、そうでない患者が多いことぐらい、寝たきりの私でも分ったからだ。
その一人にKさんがいた。元々その病棟は難病の治療で知られたN教授の担当であったせいか、全国から変った病気の患者が集まる傾向はあった。そのKさんもかなり変った病気の持ち主で、入退院を繰り返していた。
正直言うと、私はKさんが嫌いであった。いささか心がねじくれた人であった。私の元へ女性の見舞い客が来ると、わざわざその時に限ってベッドの脇で尿瓶に排尿をするのだ。いくらカーテンで仕切ってあっても、分るものは分る。
普段は大人しい人だったが、苦しくなると一晩中でも苦痛のボヤキを発する人でもあった。「苦しいよう、死んじゃうよ、痛いよう」と30過ぎのいい大人が一晩中ボヤやくのである。そのくせ、翌朝になると、ケロっとして、周囲の人が寝不足(うるさくて眠れなかった!)気味なのを不思議そうにしている無神経な人でもあった。
どうも、幼少時からの病気のせいで、他人とのコミュニケーションがまともに出来ない人であったらしい。お喋りな私だが、Kさんとはまともに会話を交わした覚えはない。可愛そうな人でもあるが、同室の方からの苦情が多く、頻繁に病室を変る患者でもあった。私がいた病室に来た時も、それほど病状は悪くなく、多分他の患者からの苦情を受けての転室だったと思う。実際、他のベッドが空くと、さっさと移っていった。
しかしある晩、再び私のいた病室に移されてきた。呼吸が苦しそうで、医師と看護婦がなにやら処置をしているのが、カーテン越しに見て取れた。相変わらず苦痛のボヤキを発するのには閉口したが、緊急時の今回は仕方ないと諦めて、ウォークマンのボリュームを上げて、音楽に集中することで我慢した。
病棟が深夜シフトに代わり、夜勤の看護婦さんたちが交替に付いた頃だと思う。Kさんのベッドにつきっきりだったお医者さんたちも立ち去り、Kさんはようやく静かになった。私もイヤフォンをはずして、眠りに入った。
ふと気がつくと話し声がする。隣のKさんが誰かと話している。私は寝たきりだったので、時間を確認することは出来なかったが、夜が明ける直前だと思う。こんな明け方にお喋りするなと憤ったが、いつものボヤキと違い、なにやら真剣そうな会話であったので、仕方なく我慢するため再びウォークマンを聴くことにした。
病棟の朝は早い。6時になると看護婦さんが体温や血圧を測りにやってきた。私がウォークマンを聴いているのを見て、あら早起きねと、元気に声をかけてくる。
私は隣のベッドの方を指差して、お喋りがね・・・と小声で呟く。すると看護婦さんが不思議そうに、隣は空いているわよと答えた。
え?
いつものように病室のカーテンを次々と開いていく彼女の向うにみえるベッドは、たしかに空っぽだった。あれれ?変だな。明け方にKさんが誰かとお喋りしてたはずだがと呟くと、看護婦さんが表情を消した。気のせいよと笑って立ち去っていく風情が妙に不自然だった。
その日、透析室に行く際ヘルパーさんに聞いたら、Kさんは昨夜のうちに亡くなったそうで、深夜の交替のときには、ベッドの整理に呼び出されたのよと愚痴られた。じゃあ、私が明け方に聞いた話し声はなんだ?
霊感に乏しい私は、その時も背筋が凍るとか、怪しい気分になることはなかった。第一苛立っていたぐらいで、怖いとは思わなかった。ただ妙に思っただけだ。
もちろん私が誰かが廊下でお喋りしていたのを勘違いした可能性もある。でも、そんな元気な患者のいる病棟ではないはず。医者と看護婦なら分るが、男同士だったと思う。
ただ、Kさんの声であったことは確かだ。私は目が悪い分、耳はかなり良い。あのKさんは、かなり独特な声、口調であったので聞き間違いえるはずがない。
しかし、昨夜のうちに亡くなったのは確かなようだ。じゃあ、誰だ?
まぁ、世の中すべからく論旨明快、理路整然であるはずもなく、分らないこと数多あるのが当たり前。分らんことは、分らない。それにしてもKさん、何を話していたのだろう。だって、とっても孤独な人だったと思うから、聞き耳たてたほうが良かったかもと、ちょっぴり後悔しています。あるいは、聞かずに済んで良かったのかな?