ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

児童ポルノ漫画規制に思うこと

2010-06-03 12:26:00 | 社会・政治・一般
苦渋をこめて言わせてもらうが、ロリコンはなくならない。

この場合のロリコン(ロリータ・コンプレックス)とは、第二次性徴前の女の子対象だと勝手に定義させてもらう。どんなに規制したって、これはなくならないと断言できる。

何故なら、人類は数万年にわたり産めよ増やせよを当然の理としてきたからだ。妊娠可能な女の子であるならば、子供を産み増やすことは、人類が生き延びるためには必要なことでもあった。

この常識が変えられたのは、近代国家の都合による。産業革命により教育レベルの高い労働力が必要とされたからだ。高度産業に従事するには、どうしても高等教育が必要であった。

非力な女性といえども、工場勤務ならば可能であり、出産や育児で労働機会を喪失することは、国家にとって損失でもあった。それゆえに、婚姻年齢は引き上げられた。

しかし、だからといってこれまで出来たことが、出来なくなったと納得できるほど性本能は従順ではない。私見だが、十代前半は、多少の個人差はあろうが十分性交渉が可能だと思う。

私自身は無縁であったが、周囲には中学生の頃からSEXに励んでいる奴らはいたし、早熟な奴だと小学生5、6年の頃からやっていたと聞いている。

もっとも、その手の話は誇張と自慢が混じるので、私は話半分に聞いていたが、やはり事実に基づくものだろう。私だって関心だけは十二分にあったのは確かだ。

ただ、いくら関心があっても、出産と育児を考えると二の足を踏まざる得ず、避妊を上手にやる自信はなかった。私は堕胎反対論者ではないけど、やはり好きな女性に中絶さすようなことはしたくなかった。

そう考えると、私が十代の頃学校で受けた性教育は不十分であったと思う。SEXは快楽が伴うものであり、やもすると夢中になりやすく、それを危惧してかのような保健の先生の話であったと思う。なんだか、隔靴掻痒な話で、説得力がない授業であったと記憶している。これなら、友達同士の猥談のほうが、よっぽどマシだった。

私が聞いていた猥談や噂話では、十代半ばで妊娠、出産して育児に追われるカップルの大半が生活苦に喘いでいた。結果として離別に至るケースも多く、幸せには思えなかった。だからこそ、中絶カンパの話があると、多少なりのカンパには応じざる得なかった。

それでも、そうと知りつつ性欲を抑えられない若者は少なくない。これは本能に基づくものだけに仕方ないと思う。そして当時(1970年代)には児童ャ泣m漫画なんてなかった。でも、やっぱりやる奴はやっていたぞ。

現在、東京都で児童ポルノ漫画規制を実施することの是非が話題になっている。表現の自由とあいまって、漫画家や出版業界などを巻き込んでの論争になっているようだ。

私はロリコン漫画は興味がないので詳しくはないが、たしかに過激というか異常な表現が溢れていると思う。これは規制の対象とされても仕方ない。

ただ、規制の仕方が間違っていると思う。どんなに良識をふりかざしてもロリコンはなくならない。需要がある限り供給があるのは必然だ。無理に規制したって裏に潜るだけだ。むしろ事態は悪化すると思う。

おそらく一番実効性がある規制は、売る場所を限定することだろう。酒タバコ同様に年齢規制を設け、書店や販売業者に規制をさせる方法が最も役に立つ。

本能に基づく欲望を根絶させることはできない。ならば、一番実効性の高い規制手段をとるべきだ。
コメント (7)
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