青臭くってもいいじゃないか。
久々にそんな気持ちにさせられた。少し顔を背けて言いたくなる気恥ずかしさと、若干の羨望をこめてそう思う。
日頃、ほとんど音楽に身を入れて聴くことは少ない。事務所にはJWAVEが常に流れているので、最新の楽曲がラジオから流れているが、BGMとして聞き流しているので記憶に残ることは少ない。
でも、昨年くらいから気になる楽曲があった。ラジオから流れてくる若い女性のボーカルに、ひどく惹きつけられた。ちょっと素人っぽい歌い方だが、健やかな歌声が脳裏に刻まれた。
率直に言って、声の出し方は少し不安定だが、そのゆらめきが十代の女性にみられる若さゆえのものであることが、むしろ印象を良くしている。
世間を、大人を、ちょっと信じきれないけど、自分の目で見て確かめて、それからなら認めてもいいわと語りかけて来る。未来に対する不安なら、ないわけではないけれど、それでも私は自分の可能性を信じたいとの気概が伝わってくる。そんな歌声だった。
私は十代の頃からひねた子供だった。私が脳裏に描く未来図は、崩壊した文明社会であり、既成の価値概念が意味をなさなくなった世界であった。輝かしい将来なんぞ、まったく信じていなかった。
だから無邪気に明るい未来を信じるクラスメイトたちを斜に構えてみていた。バカにしていたわけではないが、その素直さが信じられなかった。青臭い理想論など頭から排していた。
そんなひねた私も、数年後には五十に手が届く年になった。今でもひねくれている事には変りはないが、素直さに対しては羨望に近い気持ちを持つようになった。
十代のあの頃、もう少し素直に物事をみることが出来たのなら、未来は変ったものになっただろうか。青臭いと嫌った理想を信じていたのなら、今とは違った自分であったであろうか。
今だから言えるが、私のひねくれ度合いなんて、こそばゆい幼児の依怙地さに過ぎない。素直に事実を見る勇気に欠けていただけだとも言える。自分を信じることがなかったからこそ、他人をも信じることが出来ず、当然に未来をも信じることが出来なかっただけだ。
いきものがかりの歌は、若かりし自分の稚拙さを思い出させるが故に脳裏に刻まれたのだと思う。おかげで久々にCDショップに足を運びましたね。それがもうすぐ閉店する渋谷のHMVってあたりが、私らしい気もします。
多感な十代に素直であるべきであったにもかかわらず素直さを嫌い、中年となり過酷なビジネス環境に身を置く今となっては、とてもじゃないが素直ではいられない。にもかかわらず、素直さに羨望を抱くとは、なんとも皮肉なものです。
久々にそんな気持ちにさせられた。少し顔を背けて言いたくなる気恥ずかしさと、若干の羨望をこめてそう思う。
日頃、ほとんど音楽に身を入れて聴くことは少ない。事務所にはJWAVEが常に流れているので、最新の楽曲がラジオから流れているが、BGMとして聞き流しているので記憶に残ることは少ない。
でも、昨年くらいから気になる楽曲があった。ラジオから流れてくる若い女性のボーカルに、ひどく惹きつけられた。ちょっと素人っぽい歌い方だが、健やかな歌声が脳裏に刻まれた。
率直に言って、声の出し方は少し不安定だが、そのゆらめきが十代の女性にみられる若さゆえのものであることが、むしろ印象を良くしている。
世間を、大人を、ちょっと信じきれないけど、自分の目で見て確かめて、それからなら認めてもいいわと語りかけて来る。未来に対する不安なら、ないわけではないけれど、それでも私は自分の可能性を信じたいとの気概が伝わってくる。そんな歌声だった。
私は十代の頃からひねた子供だった。私が脳裏に描く未来図は、崩壊した文明社会であり、既成の価値概念が意味をなさなくなった世界であった。輝かしい将来なんぞ、まったく信じていなかった。
だから無邪気に明るい未来を信じるクラスメイトたちを斜に構えてみていた。バカにしていたわけではないが、その素直さが信じられなかった。青臭い理想論など頭から排していた。
そんなひねた私も、数年後には五十に手が届く年になった。今でもひねくれている事には変りはないが、素直さに対しては羨望に近い気持ちを持つようになった。
十代のあの頃、もう少し素直に物事をみることが出来たのなら、未来は変ったものになっただろうか。青臭いと嫌った理想を信じていたのなら、今とは違った自分であったであろうか。
今だから言えるが、私のひねくれ度合いなんて、こそばゆい幼児の依怙地さに過ぎない。素直に事実を見る勇気に欠けていただけだとも言える。自分を信じることがなかったからこそ、他人をも信じることが出来ず、当然に未来をも信じることが出来なかっただけだ。
いきものがかりの歌は、若かりし自分の稚拙さを思い出させるが故に脳裏に刻まれたのだと思う。おかげで久々にCDショップに足を運びましたね。それがもうすぐ閉店する渋谷のHMVってあたりが、私らしい気もします。
多感な十代に素直であるべきであったにもかかわらず素直さを嫌い、中年となり過酷なビジネス環境に身を置く今となっては、とてもじゃないが素直ではいられない。にもかかわらず、素直さに羨望を抱くとは、なんとも皮肉なものです。