通称アメ・コミ。
60年代以降、アメリカのTVや雑誌で人気を博したのが、アメリカン・コミックと称された一連のヒーローたちだ。その代表はなんといってもスーパーマンだろう。
バットマンや超人ハルク、アイアンマンなども有名であり、やがて映画で実写化されて再び脚光を集めているのは、映画ファンでなくともご承知のことだと思う。
子供の頃は、これらのアメ・コミのヒーローたちを無邪気に楽しめた。しかり、十代も半ばを過ぎると、違和感を感じずにはいられなくなった。
なにしろ、これらのヒーローたちは無邪気すぎる。自らの正義を疑うことなく、相手が悪であり、悪であるならば叩き潰すことに、なんら疑いを持たない。
ヴェトナム戦争など、アメリカ政府の無邪気に強引な正義感ぶりを知ると、アメコミのヒーローたちを素直に楽しめない自分に気がついた。
アメリカの文化に憧れ、羨望を抱いた日本人ではあるが、アメコミのヒーローたちがそのままの形で受け入れたのは、幼い子供たちに限られた。少し年長になると、日本人の気質に併せた悩めるヒーローたちが人気を博した。
ウルトラマンにせよ、仮面ライダーにせよ、どこかしらで悩みを抱えたヒーローであった。だからこそ子供たちに限らず、青少年までもが夢中になった。スーパーマンもバットマンも、そのままの形では、子供限定のヒーローだった。
一方、アメ・コミのヒーローでありながら、そのままの形で日本で漫画化されたのがスパイダーマンだった。これは極めて珍しいケースで、ほとんどの場合、デザインや色彩などは日本的に変化されていたことを思うと、例外中の例外だった。
ただし、読者層を青年に絞ったせいで、あまり知名度は高くない。あの頃、漫画は大人の読むべきものではない、との風潮があったからだと思う。
だからこそ、少し残念に思う。まだ人気漫画家となる前の池上遼一が描くスパイダーマンは、微妙にダークで、悩めるヒーローでもある。本国アメリカのスパイダーマンとは明らかに違い、暗い怨念と鋭い正義感が交錯する複雑な心象に、スパイダーマン本人が当惑する。
これこそ、まさに日本的なアメ・コミのヒーロー像であった。
やがて90年代以降に入ると、アメリカに日本の漫画がMANGAとして輸出されるようなった。複雑な現実社会を背景に、悩みを抱えた主人公を登場させた日本の漫画は、ハリウッドにも微妙な影響を与えた。
日本の漫画は、明らかに子供向けとは言いかねる複雑なストーリーを持ち、大人さえ共感できるような人間的なヒーロー像をみせて、アメリカ人を驚かせた。
だからこそ、90年代以降、特殊撮影技術の進歩とともに、かつてのアメ・コミのヒーローたちがハリウッドで復活を遂げたが、そこに現れたヒーローたちは、かつての無邪気さを捨てて、悩んで苦しんで活躍する姿に進歩していた。
誇り高きアメリカ人は認めないかもしれないが、これは日本のMANGAの影響があるはずだと私は確信しています。
なお、表題の漫画は現在は販売されず、稀少本の扱いを受けているせいで滅多にお目にかかれないと思います。もし、漫画喫茶などで見かけたら、是非ご一読を。
私の知る限り、日本的なアメ・コミのヒーローは、この漫画だけだと思います。