あっけにとられた。
何年かぶりで、久々に新大久保を訪れた。クライアントに会い、相談を受けた帰り道は、隣の新宿まで歩くことにした。かつては毎週のよう歌舞伎町を訪れて、数件のお店で帳簿をみていたものだ。
そのついでに、馴染みのホステスさんのお店で飲んで、夜遅くまで新宿歌舞伎町を徘徊していた。しかし、シナ人がらみのトラブルに巻き込まれてからは、とんと足が遠のいた。
たまに新宿で飲むことがあっても、歌舞伎町から離れた店で飲んでいたため、こんな風になっていたとは思わなかった。もちろん、石原頑固爺のせいで、歌舞伎町が寂れたことは聞いていた。
コマ劇場が閉めたことも新聞などで知っていたし、多くのスナックやクラブが潰れたことも知っていた。でも、まさか、こんなにホスト・クラブが増えているとは思いもしなかった。
かつて夜の蝶が華やかに舞い踊った新宿歌舞伎町は、現在長髪を染めた若い男の子たちが路上をたむろする。そしてホスト・クラブばかりが目立つ異様な街になっていた。
30代の頃、毎週のように通った外人クラブは、ホストの顔写真が飾られたホスト・クラブに様変わり。ここだけじゃない、路地のいたるところに細身で長髪の若いホストたちが立ち、女性が通るたびに勧誘に奔走する。
静かに落ち着いて飲めた職安通りのクラブが閉店したのは数年前だが、その後がネオンがギトギトしたホスト・クラブに変わっていたのには正直、失望を禁じえなかった。
俺はどこで飲めばいいの?
馴染みの居酒屋は昨年末で閉店していたので、致し方なく西口へ渡り、そこの寿司屋で軽く飲んで帰宅した。それにしても、なぜにホストばかりが目立つ?
不可解だった。ホスト・クラブで散財するような客は、自営業の女性や女社長を除けば、大半が風俗店で働くホステスさんたちだったはずだ。そのホステスさんたちをまるで見かけなかった。
私は仕事柄、ホステスさんたちを見分けるのには慣れている。私が通った時間は、丁度彼女らの出勤時間であったはず。かつては、彼女らの勧誘を振りほどくのに苦労したのだが、今回はさっぱりだった。
石原の歌舞伎町浄化作戦以来、歌舞伎町から風俗店が姿を消したはずで、ホスト・クラブは大切な顧客を失い大変なことになっていると聞いてはいたが、私の看た風景はそれとは逆だった。
いったい、あれだけの数のホスト・クラブの経営を成立させるだけの顧客は、どこから来るのだ?
風俗業が地下に潜ったのは知っているが、どうやら未だ盛況であるらしい。そうでなければ、あれだけのホスト・クラブが経営的に成り立つわけがない。
私は地下に潜った風俗店で遊ぶ気はない。堂々と店舗を構えた風俗店ならば、保健所の監督が効くし、経営者もそれなりに衛生には気を遣う。しかし、地下に潜ればそんな無駄な出費をするわけない。
そういえば、一昨年のAIDSの発症患者数が増加の傾向を見せているとの記事を読んだ覚えがある。風俗業が地下に潜れば、当然の結果だと思う。他の性感染症だって、相当数増えているのではないかと思う。
歌舞伎町は浄化されたのかもしれない。しかし、地下に潜った風俗店が撒き散らす性感染症は、むしろ増えている可能性は高い。
人類が都市文明を築いて以来、多くの治世者が性風俗業を止めさせようと努力してきた。しかし、誰一人成功したものはいない。旧ソ連のモスクワでも、北のピョンアンでも、根絶させることは出来なかった。
なぜかといえば、性欲は人間にとっ生存本能に根ざした欲望であるからだ。この欲望を禁じることが出来るわけない。この欲望を金銭に変えようとする者が出てくるのは必然であり、売春が人類最古の職業の一つといわれる所以なのだ。
だからこそ、賢明な治世者は、ほどほどに性風俗を規制した。四角い枠のなかを、丸くすくい上げるように汲み上げた。そのやり方だと、枠の隅はすくえない。この隅に性風俗を追いやり、根絶させない代わりに拡散も許さなかった。
いざとなれば、権力の手を伸ばせる範囲に棲息させて、時には利用し、時には取り締まって増長を抑えた。この権力者の度量あってこそ、治安は守られ、病疫は拡散を妨げられた。
私が聞き及ぶ範囲では、都内の駅前診療所の収入は減収の一途を辿る。そのなかで、皮膚科と産婦人科がわりと収入を伸ばしている。子供の数が減っているにも関らず、産婦人科の収入が増えるとは、どういうことだ。
行って見れば分る。産婦人科の看板には性病科が付け加えられている。もちろん皮膚科だって似たようなものだ。言うまでもないが、性病の多くは保険診療の対象だ。
これが石原の歌舞伎町浄化作戦の結果だ。性感染症患者の増加は、国民健保会計の赤字の増加となり、それは国民健康保険料の増税となる。つまり最終的に、このツケを払わされるのは国民であることを思い出して欲しいものだよ。
何年かぶりで、久々に新大久保を訪れた。クライアントに会い、相談を受けた帰り道は、隣の新宿まで歩くことにした。かつては毎週のよう歌舞伎町を訪れて、数件のお店で帳簿をみていたものだ。
そのついでに、馴染みのホステスさんのお店で飲んで、夜遅くまで新宿歌舞伎町を徘徊していた。しかし、シナ人がらみのトラブルに巻き込まれてからは、とんと足が遠のいた。
たまに新宿で飲むことがあっても、歌舞伎町から離れた店で飲んでいたため、こんな風になっていたとは思わなかった。もちろん、石原頑固爺のせいで、歌舞伎町が寂れたことは聞いていた。
コマ劇場が閉めたことも新聞などで知っていたし、多くのスナックやクラブが潰れたことも知っていた。でも、まさか、こんなにホスト・クラブが増えているとは思いもしなかった。
かつて夜の蝶が華やかに舞い踊った新宿歌舞伎町は、現在長髪を染めた若い男の子たちが路上をたむろする。そしてホスト・クラブばかりが目立つ異様な街になっていた。
30代の頃、毎週のように通った外人クラブは、ホストの顔写真が飾られたホスト・クラブに様変わり。ここだけじゃない、路地のいたるところに細身で長髪の若いホストたちが立ち、女性が通るたびに勧誘に奔走する。
静かに落ち着いて飲めた職安通りのクラブが閉店したのは数年前だが、その後がネオンがギトギトしたホスト・クラブに変わっていたのには正直、失望を禁じえなかった。
俺はどこで飲めばいいの?
馴染みの居酒屋は昨年末で閉店していたので、致し方なく西口へ渡り、そこの寿司屋で軽く飲んで帰宅した。それにしても、なぜにホストばかりが目立つ?
不可解だった。ホスト・クラブで散財するような客は、自営業の女性や女社長を除けば、大半が風俗店で働くホステスさんたちだったはずだ。そのホステスさんたちをまるで見かけなかった。
私は仕事柄、ホステスさんたちを見分けるのには慣れている。私が通った時間は、丁度彼女らの出勤時間であったはず。かつては、彼女らの勧誘を振りほどくのに苦労したのだが、今回はさっぱりだった。
石原の歌舞伎町浄化作戦以来、歌舞伎町から風俗店が姿を消したはずで、ホスト・クラブは大切な顧客を失い大変なことになっていると聞いてはいたが、私の看た風景はそれとは逆だった。
いったい、あれだけの数のホスト・クラブの経営を成立させるだけの顧客は、どこから来るのだ?
風俗業が地下に潜ったのは知っているが、どうやら未だ盛況であるらしい。そうでなければ、あれだけのホスト・クラブが経営的に成り立つわけがない。
私は地下に潜った風俗店で遊ぶ気はない。堂々と店舗を構えた風俗店ならば、保健所の監督が効くし、経営者もそれなりに衛生には気を遣う。しかし、地下に潜ればそんな無駄な出費をするわけない。
そういえば、一昨年のAIDSの発症患者数が増加の傾向を見せているとの記事を読んだ覚えがある。風俗業が地下に潜れば、当然の結果だと思う。他の性感染症だって、相当数増えているのではないかと思う。
歌舞伎町は浄化されたのかもしれない。しかし、地下に潜った風俗店が撒き散らす性感染症は、むしろ増えている可能性は高い。
人類が都市文明を築いて以来、多くの治世者が性風俗業を止めさせようと努力してきた。しかし、誰一人成功したものはいない。旧ソ連のモスクワでも、北のピョンアンでも、根絶させることは出来なかった。
なぜかといえば、性欲は人間にとっ生存本能に根ざした欲望であるからだ。この欲望を禁じることが出来るわけない。この欲望を金銭に変えようとする者が出てくるのは必然であり、売春が人類最古の職業の一つといわれる所以なのだ。
だからこそ、賢明な治世者は、ほどほどに性風俗を規制した。四角い枠のなかを、丸くすくい上げるように汲み上げた。そのやり方だと、枠の隅はすくえない。この隅に性風俗を追いやり、根絶させない代わりに拡散も許さなかった。
いざとなれば、権力の手を伸ばせる範囲に棲息させて、時には利用し、時には取り締まって増長を抑えた。この権力者の度量あってこそ、治安は守られ、病疫は拡散を妨げられた。
私が聞き及ぶ範囲では、都内の駅前診療所の収入は減収の一途を辿る。そのなかで、皮膚科と産婦人科がわりと収入を伸ばしている。子供の数が減っているにも関らず、産婦人科の収入が増えるとは、どういうことだ。
行って見れば分る。産婦人科の看板には性病科が付け加えられている。もちろん皮膚科だって似たようなものだ。言うまでもないが、性病の多くは保険診療の対象だ。
これが石原の歌舞伎町浄化作戦の結果だ。性感染症患者の増加は、国民健保会計の赤字の増加となり、それは国民健康保険料の増税となる。つまり最終的に、このツケを払わされるのは国民であることを思い出して欲しいものだよ。